2008年11月27日(木)

 元厚生事務次官ら殺傷事件は、今年前半に相次いだ、無差別通り魔事件と同類の事件だと、私は感じている。次第に明らかになっていく供述や報道の情報によると、消極的で人間関係をうまく築けなかった小泉容疑者も、人生の大半にわたってきわめて孤独な状態に置かれてきた。そして、職を失ったことから来る経済的苦境。社会的にも経済的にも、まったく無視された状態にあったわけである。
 こういう事件は、一種の表現である。無視された者が、最期をかけて、存在を主張している。と同時に、社会自体が、人間の共同体の生態系が壊れていることを示す指標として、このような事件をあらしめている。温暖化で旱魃や水害が起こったりするように。
 小泉容疑者が感じ続けていたであろう社会からの圧力は、じつは私たちにもかかっている。ただ、どうにかしのぐ術があったり、運がよかったりするがゆえに、その圧力に押しつぶされていないだけだ。押しつぶされてはいなくても、その圧力によって、間違いなくゆがんでいる。小泉容疑者ほどの極端なゆがみではなくても、形としては同型のゆがみを抱えている。だから、彼を異常な他人として切り捨てれば捨てるほど、自分も持っているゆがみに気づきにくくなる。そのことが、このような犯罪に拍車を掛ける。
 小泉容疑者は、宮崎勤や宅間守と同世代だという。この世代は、オウム真理教の幹部たちとも重なっている。もし小泉容疑者がオウム真理教に出逢っていたら、入信していてもおかしくなかっただろう。あの事件を直視しないで封印してしまったことも、小泉容疑者及び私たちをゆがませている圧力の一つである。
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by hoshinotjp | 2008-11-27 23:30 | 社会