2009年1月7日(水)

   ◆死をうながす死刑◆
 長いこと、私は死刑を必要悪だと思ってきたが、ここ数年で、死刑はなくすべきだと考えが変わった。
 刑罰には、社会へ対する警告やメッセージという側面がある。乱暴に言えば、死刑は「殺した者は殺される。それでもよいのか?」という抑止だったはずだ。だが、今は本当に抑止として機能しているかというと、私には正反対の効果を及ぼしているようにしか見えない。すなわち、「余計な人間の命は奪ってもよい。生きているに値しない人間は、死んでよい」とでも言うような、人を死や殺人へと駆りたてるグロテスクなメッセージに変わったと感じる。
「誰でもいいから殺して死刑になりたかった」という理由で通り魔事件が相次いだのは、今年(2008年)の前半だった。元厚生事務次官らの殺傷事件も、同類だと私には思える。それだけではない。毎年三万人以上が自殺するのも、死刑執行が発するこのメッセージの圧力と無縁ではなかろう。
 私たちは自覚できないほど深く、自分のまわりにいる人間から影響を受ける。大人が次々と自ら命を絶っていく環境は、「自殺は普通のことだ」というメッセージとなり、死へのハードルを低くする。同様に、死刑判決が乱発され、次々と執行される世では、他人の命を奪うことへのハードルが低くなる。死へ駆りたてられる社会では、「死ぬこと」も「殺すこと」も、同じ行為になってしまう。
 死刑が目立つ社会は、戦争下にある社会とあまり変わらない。だから死刑は廃止する必要があると思うのである。
(東京新聞 2008年11月28日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2009-01-07 23:30 | 社会