2009年1月16日(金)

   ◆「生きるな」◆
 社会には文脈があり、同じ行為でも、例えば時代背景という文脈の違いによって、意味が変わってくる。カウンターカルチャー全盛期の一九六〇年代に大麻を吸えば、反権力の犯罪とも解釈されただろうが、現在の大麻は、麻薬へと続く自己破壊でしかない。
 私は今、「マリファナ」とは書かなかった。「大麻汚染」など、報道は「マリファナ」でなく「大麻」を使う。その結果、「大麻」には犯罪イメージが染みつく。私はあえて犯罪の印象を強めたのだ。
 これも文脈である。文脈を読む能力とは、リテラシーである。リテラシーが低いと、世の中の情報を何でも鵜呑みにしやすくなったり、暴力的な失言が増えたりする。だから、社会的文脈を作る力を持った権力者やメディアには、高いリテラシーが求められる。
 だが、実態はどうか。巨額の利益を上げ体力のある大企業が、非正規雇用者の首切りを、率先して行う。皆やっていることだからと、内定取り消しを平然と行う会社が続出する。加えて、ここ何代かの首相の、無責任なさま。
 これがどんな文脈を作り出すか。損をしないためなら、人を死に直面させても構わない。他人の命など気に掛けるより、自分のことを考えろ。大人は下の世代を壊そうとしている。無用な人間は、強引にでも排除してよい……。
 社会の文脈を読めば読むほど、「生きるな」というメッセージばかりが目立つ。今、権力者に必要なのは、死を促す文脈を断ち切り、「生きよう」と思わせる文脈を作り出すリテラシーではないのか。
(東京新聞 2008年12月19日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2009-01-16 23:12 | 社会