2009年2月9日(月)

 大学で教えていたころ、「マイナー性を考える」という授業を持っていた。そのときに考えたマイナー性とは何か?
 まず、単なる少数派は、マイナーとは呼ばない。40人のクラスの中で、輪島を好きな人が30人、北の湖を好きな人が10人だったとして、北の湖好きをマイナーとは呼ばない。北の湖好きであるがゆえに、成績を低くつけられたり、クラスで無視されたりした場合に、「北の湖好きはマイナー」となる。つまり、メジャーの側から少数派が暴力や抑圧、差別などを受けた場合に、マイナーとメジャーの関係が発生する。マイナーとは、単なる数の問題ではなく、力関係の強弱の問題なのである。
 そして、ここが重要なのだが、メジャーの側は自分たちを普通(標準)の存在だと思っているので、自分たちの行為が暴力や抑圧であることを認識できない。標準的な給与をもらっている正社員には、非正規雇用の人間が、「努力をしていない人間」にしか見えなかったりする。確かに苦しい立場なのはわかるけれど、俺だってこき使われて残業で睡眠時間削って、それをどうにか乗り越えているのに、かれらはあんな覇気がないんじゃ、正社員の座をつかむのも難しいだろう、と、そんなふうに見えたりする。だから、自分でもっとがんばるのが先だろうと、傍観してしまったりする。家や貯金や健康保険があるからこそ、睡眠時間を削ってがんばることができるのだという条件の差を、忘れることができる。なぜなら、自分たちが普通で標準だと思っているからだ。何によって自分たちは「普通」や「標準」でいられるのか、その自分の恵まれた状況を、いちいち考えてみないでも生きていられる、それが「メジャー」の立場にいる側の特徴だ。
 マイナーな立場に置かれた人間は、自分が「劣った」側にいることを常に意識させられる。カネもない家もない健保もないことを、24時間ずっと考えることを余儀なくされる。そうしたくなくても、マイナーな立場は自分が「標準」の側にいないことを意識しなくては生きていけないのだ。
 麻生首相は、メジャーな立場の人間の典型である。なぜああも官僚の言いなりなのか、社会のルールを知らない人間であるかのような失言を繰り返せるのか。それは、自分こそが究極の「標準」だと思っているからだ。自分を成り立たせている条件は何であるかを考えてみる、といった経験がほとんどないのだろう。だから、「庶民」のこともわからないし、「庶民」からも一段低く見られる、非正規雇用を始めとする格差の下の層に置かれている人々のことも、理解できるはずがないというわけだ。
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by hoshinotjp | 2009-02-09 20:31 | 政治