2009年3月30日(月)

 ヒトラー政権に投票する人が過半数を超えるだとか、対独宥和政策をとるだとか、市場の力を信奉して大恐慌が起こっても民間経済に介入しないだとか、アメリカとの戦争を勝算もなく始めてしまうだとか、歴史を学んでいると、何でそんな愚かな選択をしてしまったのだろう、と思うことはよくある。それはあくまでも自分が渦中におらず、歴史上の出来事となったから、客観的に「愚かだ」と判断できるのだと思ってきた。
 だが、21世紀に入ってからは、自分が渦中にいても、「なぜそこまで愚かな選択をするのだ」と思うことが激増した。日本で行われる各種の選挙についても同じだ。そのように思う自分が絶対正しいとは思わない。けれど、選択をしている民意も正しいとは思えない。市場が過つように、民主主義下の民意もしばしば誤る。ただ、数が多く主流派を形成するため、誤りが見えにくくなるのだ。だから、私は権力を持つ者を信用しない一方、民衆だとか大衆といった一般人をも信用はしない。人間は自らに生来の性質として備わる愚かさをどうやっても克服はできない、と思っている。ただ、努力すればその愚かさを最小限に抑えることはできるはずである。
 民意が誤りを犯すケースの一つは、人々が集団化して、一体感のもと、熱狂している場合である。白けているときの選択は、正解を選ばないかもしれないが、決定的な間違いも犯さない。しかし、熱狂しているときの積極的な選択は、決定的な過ちにつながりうる。
 では、人間はどうして熱狂してしまうのか。熱狂するとなぜ恐ろしい間違いを犯すのか?
 最近はそのことをよく考える。
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by hoshinotjp | 2009-03-30 23:05 | 社会