2009年5月29日(金)

 中央大学の殺人事件。一部の新聞や週刊誌の報道で、家庭環境のことが報じられ始めている。親に(特に母親に)溺愛され、過干渉だったらしいという件である。これがどこまで正確な事実かはわからないけれど、まったくの誤報ではないとしたら、何となく腑に落ちるような気がする。
 自分が大学教員をした経験でも、また教員をしている友人知人の話を聞いても、学校生活に適応できずに脱落したり心の病に陥ってしまったりする学生は、親の過干渉か無関心にさらされているケースがものすごく多い。それらの学生は、入学してかなり早い段階から大学社会での人間関係に入り込めず、誰の視界にも入らずにひっそりと孤立し、大学に行きたくても行かれない精神状態になったり、行っても精神疾患を発症して授業を受けることに差し支えたりしている。
 私が早稲田大学で教え始めたとき驚いたのは、年に1、2回の父母会を開いているということだ。大学で父母会! 学生数が巨大な早稲田では、一人暮らしの学生が授業に出たいのに学校に来られず引き籠もりになっていても、誰も把握できない可能性がある。このため、できるだけそのようなケースを見逃さないよう、父母会を開くというのである。「かつての、いくら倒されても起き上がるような早稲田生を想像しないでください。今はまったく状況が違うのです」と学生担当の先生からは釘を刺された。
 山本容疑者も、一年生のときにほんの数単位しか取得できず、留年をしている。友達もなく孤独だったとの証言を考えると、この時点ですでに大学社会から脱落していた可能性がある。大学を辞めたかったという供述もあるようだ。それでもその後は何とか授業に出席し卒業にこぎ着けられたのは、学費を出している親のことを考えてがんばったためらしい。
 だが就職後も、それぞれの企業社会で溶け込めずに脱落、転職を繰り返す。大学入学時と同じことが起こっていたのではないか。
 意に反して精神的に大学社会から脱落し授業に来られずにいる学生は、いったん自分を立て直す猶予が必要となる。そこで教員は、学費を出している親と相談することになる。ところが、このような苦境に立たされている学生の親と接触してみると、多くのケースで、自分の子どもの苦境を認めず、うちの子は大丈夫ですから通わせます、といった主張をすることが非常に多い。明らかな精神疾患を抱えていても認めようとせず、医者にかかることを拒んだり、医者が問題ないと言ったと嘘をついたりする。あるいは、無関心にほっといてくれと言うケース、おろおろとどうしたらいいんでしょうと決断しないケースもある。いずれも、苦しんでいる当人の立場に立とうとしないのだ。
 このような学生の多くは、とてもまじめで、期待にこたえようとよく努力をし、物わかりもよい。親の考えや欲望をいち早く察知して、どうすれば親が喜ぶかを理解している。つまり親に対しては、空気を読む能力が発達している。その結果、学校社会での空気からはまったく浮いてしまうのである。親と大学、この矛盾を解決できなくなって、身動きが取れなくなる。
 結局は大学を辞めることになる学生は多い。だが、それは解決ではまったくないので、私は暗澹たる気持ちになる。大学を辞めて、では一体どこにかれらの身の置き場があるというのだ? 大学を辞めて家に引き籠もれば、ますます親の呪縛は強烈になる。親の呪縛下にある限り、どこの社会に出ても脱落するしかない。親に社会的に殺される前に、何とか逃げ出してくれ、と思ってしまう。だが、まじめで優しい性格だから、そんな親なのにおもんぱかって何とか期待を実現しようとしてしまうのだ。
 私には山本容疑者がそんな学生の一人だったように思えてくる。就職して親元を離れたりして、彼なりに何とか逃げたのだと思う。だが、それで社会にすんなり溶け込めるようになるかというと、親の呪縛下にいた時間が長い分、一対一での人間関係を作る体験をいちじるしく欠いており、どうにもできない。孤立は深まるばかり。
 高窪教授は、親の代わりに頼れる、唯一の人間だったのだろう。そして、親の代わりに、山本容疑者が抱くべき敵意をまともに受けてしまったのではないか? 山本容疑者が本当に殺意を持って対峙したかったのは、本当は親だったのではないか? 大人になるに当たっての親離れを決して許さない親に対し、象徴的な意味での親殺しを実現できず、孤立が深まるのと比例して殺意だけが膨れあがり、親殺しの代わりに高窪教授を殺してしまったのではないか?
 山本容疑者の親は、まるでモンスターペアレントのように報道されているのかもしれない。けれど、子どもの立場からの想像力を持たず、ずっと子どもを自分の延長として監視し権利を行使し続ける親は、見かけよりもはるかに多い。極端な例が目立つから、自分たちはおかしくないと思っているだけで、本当はおかしいという例がかなりあると思われる。それらの膨大なゆがんだ家庭環境を裾野に持つ、氷山の一角の事件であるように、私には思えてならない。
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by hoshinotjp | 2009-05-29 05:36 | 社会