2009年 06月 02日
2009年6月2日(火) |
昨日、路上に立って高松英昭写真集『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス)の販売活動をしてきました。朝9時から夕方6時近くまで、途中小一時間の休憩を挟んだほかは、ずっと立って宣伝。まあ、路上で売っている本をいきなり買う、なんて習慣は、私を含め日本にはありませんから、予約を除けば、そうそう売れるとは思っていませんでしたが、これがわずかながら売れたのです!
といっても、私や高松の力ではなく、ビッグイシュー販売者の力。ビッグイシューの販売者と並んで売ったわけですが、地道に販売活動を続けている路上生活者にはなじみの客ができていて、その方のうちの何人かが買ってくださったのです。ありがたさが身にしみました。そして、ビッグイシュー販売者の力のすごさを思い知りました。
新宿に始まり、信濃町、飯田橋(2カ所)、本郷三丁目、虎ノ門とまわり、途中では版元である太郎次郎社エディタスのスタッフやこの本のブックデザイナーまで参加。とても楽しかったです。まだまだこの写真集の路上販売は続きますので、ぜひ販売者に声を掛けて、できれば購入を考えてみてください。
実際に体験してみると、路上で雑誌を売ることがいかに過酷か、多少でもわかります。もちろん、仕事をしている人は誰でも同じぐらい大変な労働をしているわけですが、その労働で得られる対価を考えると、路上生活者の仕事はまだまだ報われていないなと思います。これは、路上に出るしかなくなっても、経済的にそして精神的(人とのつながりが持てるという状態)に生きていられるための、最低限のセイフティネットです。でもビッグイシューを買ってくださる人たちがこれだけいるのを実感して、そのセイフティネットへの理解がここまで浸透してきたのだなあと感じました。私もその理解を最近得たばかりなわけですが。
ただ、路上でビッグイシューを売るという形態は、路上生活者への自立支援というだけではないと私は思っています。唐突ですが、ブラジルの記録映像作家、岡村淳さんは、自主制作でドキュメンタリー作品を作り、それを上映希望者の招きに応じて全国(まさしく世界中どこでもという意味での全国)どこへでもおもむき、自らも立ち会って自主上映会を開くという、商業映画の流通とまったく無縁のやり方で、作品を公開しています。そしてこれは失敗するどころか、ものすごい規模で広がりを見せています。これが、現在のグローバル化された商品流通システムをなし崩しにしうるやり方であることを、私は強く感じています。この方法がメジャーにはならないだろうけれど、一定の割合で広がれば、勝ち組負け組の構図が成立しにくくなるのではないかと思うのです。
ビッグイシューの流通形態には、岡村さんの自主制作自主上映会方式にどこか通ずるものを感じています。だから、路上生活者が社会復帰する場となり得るのではないか。どちらも、損得勘定からは解放された、小さなコミュニティがそこに成立しています。そしてそのコミュニティに参加していることに、参加者が充実を感じています。今苦境にある出版および文学は、このことを少し考えてもいいのではないか。真似をするというのではなく、ここにある世界観、物事を捉える感覚から、状況打開のために学ぶことがあるのではないか。そう思うのです。
といっても、私や高松の力ではなく、ビッグイシュー販売者の力。ビッグイシューの販売者と並んで売ったわけですが、地道に販売活動を続けている路上生活者にはなじみの客ができていて、その方のうちの何人かが買ってくださったのです。ありがたさが身にしみました。そして、ビッグイシュー販売者の力のすごさを思い知りました。
新宿に始まり、信濃町、飯田橋(2カ所)、本郷三丁目、虎ノ門とまわり、途中では版元である太郎次郎社エディタスのスタッフやこの本のブックデザイナーまで参加。とても楽しかったです。まだまだこの写真集の路上販売は続きますので、ぜひ販売者に声を掛けて、できれば購入を考えてみてください。
ただ、路上でビッグイシューを売るという形態は、路上生活者への自立支援というだけではないと私は思っています。唐突ですが、ブラジルの記録映像作家、岡村淳さんは、自主制作でドキュメンタリー作品を作り、それを上映希望者の招きに応じて全国(まさしく世界中どこでもという意味での全国)どこへでもおもむき、自らも立ち会って自主上映会を開くという、商業映画の流通とまったく無縁のやり方で、作品を公開しています。そしてこれは失敗するどころか、ものすごい規模で広がりを見せています。これが、現在のグローバル化された商品流通システムをなし崩しにしうるやり方であることを、私は強く感じています。この方法がメジャーにはならないだろうけれど、一定の割合で広がれば、勝ち組負け組の構図が成立しにくくなるのではないかと思うのです。
ビッグイシューの流通形態には、岡村さんの自主制作自主上映会方式にどこか通ずるものを感じています。だから、路上生活者が社会復帰する場となり得るのではないか。どちらも、損得勘定からは解放された、小さなコミュニティがそこに成立しています。そしてそのコミュニティに参加していることに、参加者が充実を感じています。今苦境にある出版および文学は、このことを少し考えてもいいのではないか。真似をするというのではなく、ここにある世界観、物事を捉える感覚から、状況打開のために学ぶことがあるのではないか。そう思うのです。
by hoshinotjp
| 2009-06-02 23:09
| 身辺雑記