2009年6月9日(火)

 新聞はどうしたらこの苦境を脱せるのか、とよく考えるが、たぶん脱せはしないという結論に落ちるのが常だ。ただ、どうせ脱せないのなら、開き直り思い切り、好き勝手にやったらいいのに、とも思う。
 私の求める今後の新聞像とは、世の中に冷や水を浴びせる役割だ。インターネット時代、メディアとは世の欲望や熱狂を加速させる機能へと特化していくばかりである。今やどうしても遅れるメディアである新聞には、むしろ「スローメディア」として、世の欲望や熱狂に疑義を挟む役割がふさわしいと思うのだ。私のイメージしているのは、現在購読している東京新聞の名物である「特報面」がメインとなった新聞だ。「特報面」は、私の思う「冷や水を浴びせる姿勢」が強く、インフルエンザ騒動でも、いち早く舛添大臣のスタンスを熱くなりすぎではと批判したり、政府全体の対応とメディアの反応を合わせて検証したりした。同じ東京新聞のストレートニュースのページではまさに過熱した報道が行われているその最中にである。そこでは、社会部デスクが、自らの熱くなりすぎてしまった報道姿勢を告白したりもしていた。
 選挙中、報道機関は、アナウンス効果に気を遣う。例えば、大きなメディアが「与党リード」と書くと、与党支援者は安心して気が緩み、野党支援者は気を引き締めて活動を活発化させ、結果的に投票行動では逆に振れたりする、という効果である。
 選挙に限らず、報道には多かれ少なかれ常にこのアナウンス効果が働く。だから、例えばインフルエンザ騒動で、政府がこんなに緊迫して対策をとっていると大々的に報じれば報じるほど、世の中の不安をあおり、マスクを付ける人が増えるといった効果が生じるわけである。にもかかわらず、自らのアナウンス効果には無頓着に、「ちまたにはこんなにマスクを付けている人があふれている」とその現象を報道するとなると、これではただの扇動家ではないか、まるで無自覚なヤラセみたいではないか、と思ってしまう。ベストセラーでも同様で、メディアがいっせいに、初日にすでに80万部、と報道すれば、今の熱狂しやすい社会ではたちまち人々が買いに走るわけだが、何と2週間で100万部、書店では売り切れ続出、この要因は何か、などと、まるで自分たちは無縁であるかのように報道している姿には、「歴史の忘却」とつぶやきたくなる。すべてのメディアがこのような状態になってしまったら、戦時中の大政翼賛報道に行き着くしかない。
 だからこそ、新聞には、これまでのような部数や収益を回復しようという考えは捨てて、小規模でもよいから冷や水を浴びせるメディアとして成熟してほしいのである。
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by hoshinotjp | 2009-06-09 23:37 | 社会