2009年7月30日(木)

 雑誌の廃刊が相次ぐなか、前回の日記で「雑誌が担っていた文化情報の流通という役割を、果たしてネットは担えるのだろうか?」と考えたが、やはり無理なようである。なぜかというと、活字という文化自体が変質しているようだからだ。どうもメディアの世界でも、ライターなどフリーのプロフェッショナルたちの「非正規雇用化」が起きているからだ。
 どういうことか?
 知人のライターの話によると、まず、ウェッブメディアが支払う報酬は、雑誌などが払っていた報酬に比べると、数分の一程度と格段に安いのである。紙代や印刷代がなくなるわけだから、コストは紙媒体よりかかっておらず、本来ならば報酬はむしろ増えてもよいぐらいだろう。だが、取材費をそこから捻出したら赤字になるような額しか提示されないという。
 ここには、プロの文章の書き手を、それなりの経験を経た職能の使い手とは見ていないという、ウェッブメディアの特色がある。文章を、あくまでもビジュアルに奉仕する記号としてしか捉えておらず、その記号を書くことは誰であっても可能な、代替可能な仕事と位置づけている。
 同じようなことが、字幕翻訳の世界でも起きている。戸田奈津子さんやそれに続く世代の字幕翻訳家たちは、作品世界をきちんと読み解き限られた字数の日本語に置き換えるという作業を、高度な技術と能力の要求されるプロの仕事として完成させてきた。例えば英語などの字幕を見るとわかるが、日本の字幕技術は世界でも類を見ないほど高い。つまり、視聴者が見やすくわかりやすい。
 だが、そんな高度な仕事は今や評価されなくなりつつあり、とにかく二束三文の安いギャラで、配給会社の意向に従った「超訳」の字幕をつける者へ、発注が流れているという。質などどうでもよく、オリジナル作品のセリフをねじ曲げてでも売れればよいという、配給会社主導の字幕作りに奉仕することしか、求められていないのである。もはや、プロフェッショナルの仕事ではない。
 つまり、経験と能力を要求されるプロの仕事が、質を度外視して安く買い叩かれ、その結果、格安のギャラでその仕事を引き受けるプロではない者たちを大量に出現させている。むろん、そのような安いギャラでは食えるはずもない。フリーランスの仕事なので安定もしない。
 これを私は、フリーのプロフェッショナルの「非正規雇用化」と言いたいわけである。
 インターネットメディアは、このように、単に紙媒体のメディアをネットの世界に移行させたのではなく、その質そのものを破壊しようとしている。別の質へと変えるのではなく、たんに破壊して単純作業へと貶めようとしている。その破壊の原理は、すべてを経済効率で計算する自由化経済、つまり格差社会をもたらしている経済原則と同じものである。
 そのような原理にインターネットメディアが支配されている限りは、すべての文章が商業に奉仕する現状を、推し進めるばかりだろう。
 私たちは今、言葉を奪われる危機に直面している。
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by hoshinotjp | 2009-07-30 23:28 | 社会