2009年8月18日(火)

 夏休み+仕事でちょっとお休みをしていました。南関東の私の家のまわりでも、今年はついにクマゼミの鳴き声を聞きました。ここまで北上してきたということです。

 横浜市と杉並区で、作る会の教科書が採択された。何だか惨めな気分になる。
 作る会が自称する「自由主義史観」は、「新自由主義的な歴史観」と言い換えてもよいと私は思う。その特徴は3点。
1.「新自由主義」、つまり米国の経済イデオロギーをベースにしている。それは、プロテスタントのキリスト教原理主義によって裏打ちされている。つまり、「普遍的な価値である民主主義と自由経済を世界に広める使命が我々にはある」という、他国への介入姿勢が正当化されている。
2.上記と重なるが、宗教原理主義的な価値観に基づいている。新自由主義下の米国が、自分たちの土地を「神の国」と位置づけているように、日本を神話的な国家と位置づける。
3.愛国教育を目的としている。自分たちの犯した過ちは認めず、とにかく己を優れた過ちのないものとして確立したがる。中国や北朝鮮の行ってきた愛国教育と、基本的には同系列にある。それがいかに現実の歴史とかけ離れているか、手に負えないエゴイストを作り上げるか、それらの国の態度を見ればはっきりわかるのに、自分たちも同じやり方をそっくり真似ようとは、何と愚かなと言うしかない。
 基本的には、新自由主義的な価値観に基づいているという意味で、きわめてアメリカ的な歴史である。終戦時にアメリカが日本にもたらした歴史観が古くなったので、現在のアメリカの望んでいる歴史観に変えましょうと、自ら「空気を読んで」作ったような歴史だ。
 太平洋戦争の開戦が正当化されている点についても、宗教原理主義的な面から説明できる。アメリカが自分たちの宗教原理主義的な使命感に基づいて他国へ介入するなら、介入された側も、アメリカ支配の打倒を訴えるのに、宗教原理主義的な「イスラム聖戦」に基づいて無差別テロを正当化する。日本の侵略や開戦を正当化するやり方も、欧米支配打倒のための「聖戦」という、宗教原理主義的な論理を踏襲している。
 このように、この歴史観には、自分たちの主体性がいちじるしく欠けている。ひと言で言えば、卑屈さに満ちている。「自虐史観」によって自分たちのアイデンティティが失われた、と批判していながら、自分たちも借り物をつぎはぎしてグロテスクなコピーのアイデンティティしか示せないという、非常に虚しい矛盾。強い者大きな者(アメリカ、中国)には相手と同じやり方を真似して対等になろうという、近代化以降ずっと踏んできた同じ轍。この、歴史に学ばない歴史を、子どもたちが教わるという事態を前に、惨めな気分以外のどんな気分を抱けようか。
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by hoshinotjp | 2009-08-18 08:33 | 政治