2009年8月29日(土)

 明日の総選挙、あえて水を差すようなことを。
 政治が体をなさずに崩壊している現在、政権が民主党に交代することは、今よりずっとましな結果だとは思う(少なくとも「ましかもしれない」と思えるだけでも、ましだ)。私は民主党を支持はしないが、政権交代は望んでいる。その点では私も、ちまたの気分とほぼ同様の気分を抱いている。
 それでも、今の選挙のムードは、やはり異様だと思う。納豆やバナナが売り切れる現象や、WBCで過度に熱狂する現象や、特定の誰かをバッシングする風潮と、基本的に同一に感じる。支持する先が変わっただけで、小泉郵政選挙と体質がそう大きく変わってはいないと思う。
 選挙につきものであった「アナウンス効果」が消えたのはいつごろからだろうか? 小泉選挙、一昨年の参院選、そして明日の総選挙と、常に有権者の指向はファナティックに一方へ偏る傾向を見せている。小選挙区制の特色だ、という意見もあるが、小選挙区制が導入されてから10年近くはこのような極端な傾向は見られていない。これは選挙だけでなく、ここ何年かに顕著な、人々の社会意識なのだという気がする。自分も勝ち組にいたい、みんなと一体となってカタルシスを味わいたい、達成感を共有したい、そのことで自分にも力があることを感じたい、自分の一票に意味があることを実感したい、自分も意味ある存在であると感じたい、という欲求。さらには、むしろこちらのほうが強いのかもしれないが、そこからこぼれ落ちることの恐怖。自分が無意味で孤立した存在になることを避けたい気持ち。選挙とWBCは同一地平上で消費されうるものとなっているのだ。
 もちろん、投票行動において一人一人がまじめに考えていることは疑っていない。けれども、そのさらに底流で人々の気分を支配しているのは、そのような集団的な無意識なのではないか。
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by hoshinotjp | 2009-08-29 22:54 | 政治