2009年9月21日(月)

 宮崎駿監督の映画『崖の上のポニョ』が、広島県福山市の鞆の浦(とものうら)という、とても風光明媚で居心地のよい小さな港町をヒントに作られたことは、よく知られている。宮崎監督は、たまたま訪れた鞆の浦を気に入り、ここに滞在して『ポニョ』を構想したのだという。
 その鞆の浦で問題となっているのが、湾をまたぐ橋を架けるかどうか。古くて小さい町ゆえ、交通の流れが悪く、それを解消すべく湾を横切るように橋を架ける案が浮上、工事寸前まで行っているのだ。これをめぐって、町の住民が賛成派・反対派に分かれて対立。架橋反対派は工事を差し止めるよう、広島地裁に訴えており、10月1日にその判決が出るという。(架橋問題については、「こちら」を見てください。あくまでもWikipediaですが)。
 判決を前に、宮崎駿監督が、この問題について読売新聞のインタビューで意見を述べている。架橋は住民の決めることという前提を崩さないながらも、控えめながら架橋を望まない旨を述べている。
『ポニョ』という作品にぞっこんの私だが、じつは『ポニョ』のことなど知らなかった2年前の秋、まったく関係ない文脈で鞆の浦を訪ねている。その静かで落ち着いたたたずまいには、すっかり魅了された。
 町のたたずまい。こんな風景が湾を囲む。クリックすると拡大します。
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 湾全景
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 中央部を拡大すると、
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 この写真のど真ん中を、上から斜め右下方向へと道路が横切ることになるのだ。
 帰りに鞆港から福山駅行きの路線バスに乗ったところ、この問題で、顔なじみの住民であるらしきバス運転手(反対派)と乗客(賛成派)が口論を始めたときは、問題の根深さを実感した。
 唐突だが、自殺が増えていることの背景には、個人が自分に価値を見いだせないという、尊厳の喪失がある。経済的な困窮や社会的な排除により、自分の存在に意味が見いだせなくなり、自分を痛めつけていく。鞆の浦の埋め立て架橋問題も、それと同じだと私には思える。生活のために橋を架けるべきなのか、景観を優先すべきなのか? いずれにしても、鞆の浦という町に住む者に、尊厳をもたらしはしない。鞆の浦という町、そしてそこに住む自分に、意味がある、役割があると思えることが、肝心だと思うのだ。日本全国で起こっているであろうこのような問題は、町や住人の「自死」問題だと私には感じられるのである。
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by hoshinotjp | 2009-09-21 18:43 | 社会