2009年11月16日(月)

 前々から思っている、大麻について。
 大麻はどの程度、体に毒なのか、と考えると、タバコとどっこいどっこいという気がする。肉体をむしばむという意味では、タバコのほうが毒性が強い面もあるかもしれない。中毒性もタバコのほうが強いだろう。
 精神に及ぼす影響、つまりその譫妄の程度はどのくらいか? これはアルコールとどっこいどっこいではないか? 大麻というと、麻薬的な心神喪失や幻覚が引き起こす暴力などがイメージされるが、アルコールだって強い酩酊状態にある場合は、記憶をなくし、人によっては相当な暴力を引き起こす。依存性の強さも、そう変わらない気がする。アルコール中毒ともなれば、廃人にいたることもある。
 要するに、「体に悪い」「健康を破壊する」という理由だけでは、本当は大麻だけを特別視するのは難しいような気がするのである。それなのに、大麻が特別に法律を作られてまで禁止されているのは、なぜなのだろうか?
 アルコールの場合、ストレスからの逃避として依存し、中毒にいたるにしても、そこで行き止まる。アルコールから始まって、さらに強力な薬物へ進むことは、一般的にはあまりない。
 大麻が問題となるのは、大麻の先に、依存性や精神破壊の度合いがずっと強烈な薬物が待ち受けていることだ。ストレスから大麻へ逃げると、そこでとどまらずに、覚醒剤などへ進むコースが、供給する側によって用意されているわけだ。そこにハマると、アル中よりも深刻な破壊にいたってしまう。それらの精神破壊が社会にとってなぜ脅威なのかは、アヘン戦争時の中国社会を参照すればわかるだろう。社会自体が、麻薬を供給する者たちへ依存することになるのだ。
 つまり大麻は、麻薬への入り口だから、厳しく禁止されていると考えるべきである。健康のためではない。健康のためだというのは、統治する側のレトリックでしかない。
 社会によっては、大麻が個人のたしなむ範囲で許容されている場合もあるが、依存症が百花繚乱となっている日本社会の現状を見る限り、私は禁止されてもやむを得ないと思う。今の日本社会は、より深刻な依存へ陥ることを、かなりの人たちが潜在的に欲求しているような社会なのだ。
 タバコも大麻もコカも、元はアメリカ大陸の先住民文化のものだった。それらは宗教的な儀式や加持祈祷のために、厳格な規律のもとで使用された。依存するための薬物ではなかった。それらを、依存をもたらす「麻薬」に変えたのは、人間中心の世界観を持つ近代主義である。近代の価値観は、その根本に依存症が組み込まれていると言ってよい。
 何かに依存をしないと成り立たない自由とは、一体、何なのだろう。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-11-16 23:34 | 社会