2009年12月17日(木)

 サッカー、ジェフ千葉と日本代表の監督だったオシムは、常々、「サッカーで起こることはすべて人生でも起こり得る」と語っていた。同じことが、アストル・ピアソラの音楽でも言えると思う。「ピアソラのタンゴを聴いて感じる感情は、人生で体験しうるすべての感情である」。
 それを実感できるピアソラのライブの名盤が発売された。『ミルバ&アストル・ピアソラ ライブ・イン・東京 1988』。必聴である。
 とにかくその白熱に圧倒される。演奏のテンションが高く、質も高く、なおかつ録音が素晴らしい。空気に音が濃厚にたっぷり詰まっているという感じなのだ。重低音も豊かでとても生々しく、文字通り「ライブ」の魅力に満ちている。
 ミルバがピアソラを歌ったCDでは、1984年のパリでのライブ「ブッフ・デュ・ノール」が定番だったが、今度の1988年の東京ライブ盤を聴いたら、「あれ、ミルバってこんなに上手かったんだ!」と驚いてしまった。格段に繊細かつドラマティックなのだ。ミルバの真価がついにこの演奏で極みに達したというべき歌唱で、間違いなくミルバ―ピアソラの完成形がここにある。定番の座は譲り渡されたと言えよう。
 冒頭に、きわめてとがった歌なしの曲「タンゲディアⅢ」が演奏された後、不穏な未来を告げるように「私はブエノスアイレスで死ぬだろう」と、「私の死へのバラード」が歌い出される。
 この冒頭2曲の並びのカッコよさと来たら!
 さらに一曲置いて、ミルバ―ピアソラで私が最も好きな「迷子の小鳥たち」が続く。このあたりでもうすっかり、心はぐずぐずである。
 そして6曲目の「ブエノスアイレスの夏」! 曲の出だしにやられた。ピアソラの演奏した「夏」の中でも、最高に洗練された「夏」ではないだろうか。
 その後に、「孤独の歳月」をミルバにドラマチックに歌われた後では、泣かずにいられようか。
 と、このように、ミルバの歌だけでなく、ピアソラの五重奏団のインストルメンタル曲演奏も素晴らしいのである。これが、2枚組で、1時間半の当日のコンサートを抜粋することなく完全に収録してある(ミルバの挨拶からアンコールまで!)のだから、これ以上望みようがない。
 ミルバはスペイン語で書かれたピアソラのタンゴの半分を、イタリア語で歌う。もとはスペイン移民が建設したブエノスアイレスという街は、19世紀から20世紀前半にイタリア系の移民によって繁栄を築いた。そのイタリア系移民たちの郷愁が、さまざまな要素と混血してラテンアメリカ化した音楽が、タンゴである。ミルバのイタリア語のタンゴは、そんなタンゴのルーツを濃く感じさせてくれて、胸に迫る。ミルバは濃い輪郭で、激しい情熱で、強いオーラで、ピアソラの世界を人生に変えてしまう。
 ラテンの人たちは、苦しい人生を、強い感情の振れ幅で乗り切る。生きることの苦しさは、内容は違えども、その度合にラテン世界も日本も違いはない。日本社会では、感情を滅することで乗り切ろうとする。だがそれは、自分が人間ではないかのような境地へ行き着きかねない。強い感情へ耐性をつければ、自分をもてあますことはあっても、エネルギーを枯渇させることは避け得る。私は、感情の拠点のひとつとして、ピアソラのタンゴを聴く。
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by hoshinotjp | 2009-12-17 13:32 | お知らせ