2010年1月28日(木)

 ツイッター、リストの怪。
 自分のツイッターでも他人のでもよいのですが、ブラウザでツイッターを表示させてみてください。右のコラムに、フォローされている数字が示されていますね。その右には、「リスト」の数字が表示されています。その二つの数字を照らし合わせてください。例外もありますが(巨大な数のフォロワーがいる人など)、おおむね、「リスト」の数字は「フォローされている」の数字の1割ほどになっているでしょう。
 いろいろな人のケースを見れば見るほど、これがまあじつにきれいに1割になっています。誰の命令でもないし、ツイッター界の住人たちが示し合わせて1割を維持しているわけでもなく、自然とこうなるのです。不思議です。
 ひょっとして、これが「集合知」の正体なのかもしれません。この「1割」という現象には意味はありません。その理由を一生懸命考えても、たぶん、正解を見つけることは無理でしょう。ものすごく細かな原因が複雑精緻にからみ合い、かつ偶然が加わっているのだから。
「集合知」自体にはもしかしたら意味はないのかもしれません。そこに意味を見るのは、人間の文化だということになります。だから、集合知はおおむね正しい答えを導く、と信じるのも、そんなことはありえないと懐疑的になるのも、性善説と性悪説どちらが正しいかと議論するようなもので、人間はどちらでもないしどちらでもあるし、そのことを考えるのが人間の文化なのだ、と思います。
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by hoshinotjp | 2010-01-28 19:39 | 社会