2010年2月2日(火)

 NHK特集「無縁死」を見た。東京新聞では「介護社会」という特集を長らく組んでいて、今連載中の第4部「百万遍の南無阿弥陀仏」が、老母の介護に追いつめられた息子の孤独を描いている。この記事は毎回、心を激しく揺すぶられて、平静な気分では読めない。まるで自分のことのように、胸に痛みを感じる。さらに、ちょうど上野千鶴子『男おひとりさま道』を読み始めたところだった。
 十年ぐらい前に私は、自ら選択したにせよ、やむを得なかったにせよ、これからも一人で生き続けるであろう中年期の男が、どうしたらよりよく老いていけるかを、『毒身』という小説を書きながら考えた。私のまわりに、そのような覚悟を決めようともがいている男たちがたくさんいたからだ(現在では、私を含め、その半数ぐらいは家族を築いたり、誰かと共同生活を営んでいるけれど)。
 そのとき考えた答えの一つは、疑似家族である。独り者の男が集まるだけでなく、いわゆる一般的な家族像から外れた男女子どもたちが集い、緩やかな共同生活を送れる場を思い描いてみたのだ。そのイメージの原型としたのは、メキシコで貧困層が住む地域の共同性である。メキシコ人らは思いきり迷惑をかけ合いながら生きるので、そのような関係性は日本社会では難しいが、それを薄めた、軽い迷惑を少しずつかけ合うような小さな共同体なら可能だし、必要だろうと思ったのだ。もちろん、そのような疑似家族には影の面もあるが、それ以上に、一人で生きるためには、絆やつながりの感覚が欠かせない。
 もう一つ、一人で、特に男が一人で生きるために必要なのは、権力を捨てることである。既得権益層から降りることである。いわゆる「男のプライド」を捨てること、と言い換えてもよい。さもないと、弱い自分を受け入れられず、だから他人にも弱さを見せられず、いかんともしがたい孤独に陥ることになる。疑似家族を築くためにもっとも必要な態度は、男の常識を捨て、人間として責任を取れるようになることである。
 このテーマは、3万人を越え続ける自殺とも密接に関わっている。生活の苦境が、なぜ自殺へ至らねばならないのか。そこには、絆の切断が深く関わっているからだ。
 孤立へとばらばらにされていく傾向が強い世の中にあって、どうしたら、表面的ではない絆を築けるのか。また、その絆を、人生80年以上の時代に、長く維持するには、どうすればよいのか。そのカギはやはり、「権力」と「プライド」をご破算にすることにあるだろう。
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by hoshinotjp | 2010-02-03 06:07 | 社会