2010年10月29日(金)

 湯崎広島県知事が育休を取ると宣言したこと(すでに子どもは産まれ、湯崎知事は早速時限的に育休を取っている)に対し、橋下・大阪府知事が「世間では育休を取りたくても取れない人がいるのに、世間知らずだ。首長はみんなが育休を取れるような環境を作ってから取るべきだ」という趣旨の発言したことに対し、何とも言えぬ違和感を感じる。
 私が就職した二十数年前、一般的に会社には、その職場でみんなが残業していると一人だけ仕事が終わったからといってすぐには帰りにくい、という風土があった。特に、上司がいると、先に帰るなんてことはほぼ不可能であった。このため、何となく会社に残り、その結果会社にいる時間がやけに長く、家庭で費やす時間が少ないのが、日本の平均的なサラリーマン生活だった。そしてそれは、日本社会のメンタリティでもある。
 時短が言われた90年代になって、長時間労働を減少すべく、とにかく上司が率先して仕事を切り上げて帰る、ということが奨励された。周囲の視線で自分の行動を決める傾向の強い日本社会では、自ら突出しようという者はきわめて少なく、横並びでないと決断が難しいのである。
 男が育休を取りづらい原因の一つには、この横並び意識が障壁となっていることもあるだろう。そうである以上、まず、取りやすい立場の者から取ることで、他の者たちも取りやすくする、という手順はやむを得ないと思う。
 橋下知事の発言は、真意はいろいろあるのだろうが、私には、「横並び意識を守れ」という意味あいも含まれているように感じられた。その後、広島県庁に寄せられた意見が、8割は「知事の育休取得反対」で、その理由が「取りたいのに取れない人がいる」という結果だったのは、橋下知事の発言も影響していないとは言えないだろう。
 私はここに悪い意味でのポピュリズムを感じる。世の人の、羨望や恨みといった弱みに訴えかけることで、感情的にさせ、その熱狂の力を自分の味方とするのである。橋下知事は知事以前から、しばしばこの手法を使っている。人々のこういう感情に火をつけてしまうと、冷静に「知事が育休を取るべきかどうか」を議論することは難しい。
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by hoshinotjp | 2010-10-29 22:31 | 政治