2006年11月9日(木)快晴

 「いじめ」問題がエスカレートし、問題の本質から離れていっている。伊吹文科大臣宛に自殺予告の手紙が届いたとき、メディアはこんなに巨大に報道していいのだろうかと私は不安になったが、今日、2件目の自殺予告の手紙が届いた。また、いじめの現場を録画しネットで流していた高校に、抗議の電話を2チャンネルが呼びかけたところ、その高校が今日電話攻めにあったという。
 自殺予告が本当に切羽詰まってのものか、あるいはイタズラか、いずれにしても一種の悪乗りであり、歯止め無くエスカレートする悪意の発露であり、「いじめ」という現象に根本的に取り組むという姿勢からは最もかけ離れた態度である。
 こういった行為に歯止めが掛けられないのは、例えば履修漏れ問題で相変わらず校長が自殺するだとか、談合などの汚職が発覚すると県幹部が自殺するといった「実例」が後を絶たないからだ。彼らの行為は自殺をしてよいというメッセージになり、死ねば校長という地位と引き換えに本当は負うべき責任を果たさなくてよいとGOサインを出しているようなものだ。ここで歯止めとして必要な「信用」というものが、むしろなし崩しにされていく。悪意に対し、つけ込む余地をせっせと提供しているようなものである。
 この連鎖はもう少し続くだろう。やがて飽和すると、忘れられていくのだろう。肝心のいじめの構造には少しも踏み込まれないままに。そうやって、誰からも関心を向けられないままいじめが続くという状態が再び繰り返され、事態は秘かに悪化していくのだろう。オウム事件以降、この社会は反省という行為を忘れたようだ。
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by hoshinotjp | 2006-11-09 23:25 | 社会