2006年 11月 18日
2006年11月18日(土)曇り |
教育基本法の改正案が衆院を通過したが、各種世論調査でも改変への賛成者のほうが多数を占める現在、これを止めることは難しい。経済的社会的格差が開く一方の日本で、2代3代に渡って既得権益を蓄積してきた今の政治家たちが、その権益をさらに盤石なものにするためにも、教育基本法を変えようと欲望しているのははっきりしているものの、それだけで改変が可能になるわけではない。世論の支持があるからできるのである。履修漏れ問題やらいじめ自殺問題などで、教育を正さねば、という気分が高まり、それが安直に教育基本法改正賛成へと結びついているのだろうが、さらにその底を流れる気分を探ると、自分が自分であることを声高に言いたい、自分は日本人だ、中韓にナメられてたまるか、といった衝動があるように私には感じられる。この衝動は、この社会を覆い尽くしている排除のメンタリティ、つまり「いじめ」の衝動と同じ衝動だ。誰かを叩くことで、「我々」の一員であることを確認して安心する、というメンタリティ。
この衝動は、私の中にも潜んでいる。つまり、誰か極悪の権力層のせいだけで、問題が起こっているわけではないということだ。各人が、この衝動に正面から向き合って、自覚し、衝動を解消するためにどうしたらいいのか考えない限り、いじめも、社会のタカ派化(繰り返すが、それらは同じ現象だ)も、エスカレートする一方だろう。歯止めはそれぞれの個人の中にしかない。誰かのせいにしてバッシングするのではなく、まさに自分自身の問題だという実感を持つことから始めるほかない。
この衝動は、私の中にも潜んでいる。つまり、誰か極悪の権力層のせいだけで、問題が起こっているわけではないということだ。各人が、この衝動に正面から向き合って、自覚し、衝動を解消するためにどうしたらいいのか考えない限り、いじめも、社会のタカ派化(繰り返すが、それらは同じ現象だ)も、エスカレートする一方だろう。歯止めはそれぞれの個人の中にしかない。誰かのせいにしてバッシングするのではなく、まさに自分自身の問題だという実感を持つことから始めるほかない。
by hoshinotjp
| 2006-11-18 23:43
| 政治