2007年2月15日(木)

 1月に気合いを入れ続けた反動で、やや気が抜け気味。来週はちょっとだけ休暇を取る。
 近々、パソコンを一新するのに伴い、ワイヤレス(つまり接続コードのない)の、少々値の張るキーボードとマウスを先に購入したところ、これが素晴らしく調子がよい。使い勝手がよくて、手の疲れが全然違う。

 柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言に対する批判が、ある時点で急に終息したのはなぜか? その後も、国会では異様な発言が続き、野党はその気であれば追求し続けてもおかしくなかったと思うのだが、そうはしなかった。たぶん、野党は安倍政権を生殺しのまま参議院選に持ち込みたいからだろう。柳沢伯夫が内閣にいる限り、ちまたのイメージは悪いまま保たれる、と計算しているからではないか。政権の側は、辞任を免れて、ダメージを抑えられたと判断しているのだろうが。
 要するに政治の舞台では、あの発言は政治的駆け引きの材料として終わったわけだが、政治家、ひいてはそれを選ぶ有権者によって構成されるこの社会の、根幹のメンタリティを考えるためには、この件はもっと掘り下げられる必要がある。
 だから、メディアまで政治と一緒になって問題を終息させてしまうのは、私には腑に落ちない。まるで与野党の戦略に乗って、その片棒を担いでいるかのようである。あの発言は失言などではないと感じるのであれば、発言に潜むメンタリティがマジョリティに実は共有されていてごく自然なこととされている風土をもっと探ろうとするべきではないのか。
 と、メディアを批判しつつ、一方で、メディア批判は楽なのだ、とも思う。何かあるとメディアを叩くのは、今や一つの流行となっている。わかりやすく他人のせいにできる手段でもある。メディアは受け手がいなくては成り立たない。メディアを批判するときは必ず、返す刀で受け手である自分たちをも批評しなくてはならない。
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by hoshinotjp | 2007-02-15 22:43 | 政治