2007年6月26日(火)

 国会って必要なのだろうか?と思う最近。特に選挙前の国会はひどい。与党は、ともかく口当たりがよいアピール度の高い政策を強行採決の連発で決めたあげく、自分の都合で投票日を1週間遅らせてしまった。1週間送らせるだけでいったいいくらの損失になったのか、大手メディアで試算しているところはないのだろうか。定率減税を半分にしたことで増税が行われたわけだが、その税収の何パーセントか(あるいは税源移譲で増えた地方税の何パーセントか)は選挙日の先送りによって無駄に消えるわけだ。
 一方の野党も、選挙を睨んで、「反対路線で行きます」と決めているので、内容がどうであれ反対するだけ。
 けれど、そうやって選挙目当てに反対され強行採決された政策は、選挙が終わって有権者が注視しなくなっても、私たちの生活に影響を及ぼし続ける。こんないい加減に決められて、ツケを払うのは有権者である。
 国会議員が選挙次第で豹変するのは何度も見てきたし、カネに汚いのも昔からだが、政策についてこれほど無責任な時代はなかったのではないか。特に今の内閣を見ていると、国家は自分が世襲して手にしている私物だという感覚しかないように思える。つまり、政治家に「公共心」がないのだ。
 例えば、岩屋毅外務副大臣のブログが問題になっている。民法の規定により離婚前後に生んだ子どもが戸籍を持たないまま放置されている問題で、とある母娘について、誹謗中傷とも言える事実誤認を書いているというのだ(記事はこちら)。国家権力を持った人間が、その責任を負うべき国民をこのように扱うのは、幼児虐待に等しい。権力と責任ということについてこのように無自覚な人間が、今の政府や国会にはごろごろしている。なぜ無自覚なのかといえば、自分の立場を私物化するメンタリティが常にあること、そして社会性を欠いていることだろう。
 自由化の中で起こっていることは、すべてがカネ勘定に還元されるということだけではなく、すべてが私物化されていくということだろう。そして、私物化したものは自分のものなのだから好きにしていいのだという感覚。この風潮を強力に推し進めているのは、道徳や公共心を叩き込もうとしている現内閣である。かれらのいう道徳や公共の意味を間違って捉えてはならない。
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by hoshinotjp | 2007-06-26 16:06 | 政治