2007年9月24日(月)

 自民党総裁選を見ていて、何かが繰り返されていると感じた。
 それは麻生人気のことである。小泉人気の小型版を見ているようなのである。実際、麻生氏を熱を込めて支持しているのはおそらく、かつて小泉氏を熱狂的に支持した人たちが多数を占めるだろう。
 安倍首相が自滅に至るもっと前の、初期段階で支持率を落としていった原因の一つは、小泉首相のようにスカッとさせてくれなかったから、ということがあると私は思っている。何かを「ぶっ壊して」ほしいのに、何だかとろーんとしている。威勢がよくない。本当は教育基本法とかを壊したのだが、小泉時代のような悪役をぶちかましてぶっ壊す、といった感じがしない。だからスカッとしない。
 このことは、安倍首相自身も不可解だったのだろう。自分は壊している(「戦後レジームからの脱却」をちゃんと実現している)のに、小泉時代のようにはみんな沸いてくれない。そんな気分があったのではないか。
 ぶっ壊してスカッとさせてくれ、という欲求不満が、今度の総裁選で、「毒舌」「ヲタに詳しい」麻生氏の威勢のよさを熱く迎えた。あの郵政民営化解散選挙よ、いま一度、というような気分で、盛りあがりかけた。それがあの街頭での声援の正体ではないか。
 つまり、政策などどうでもよいのだ。この日常を破壊して高揚をもたらしてくれるカリスマと祭りが欲しいだけなのだ。カタルシスを与えてくれるかどうかだけが重要なのだ。「キャラ立ち」だけでもてはやされるのは、そういうことだと思う。麻生氏の政策への共鳴など、あとからついてくるだけだろう。
 このような麻生人気が主に大都市部に集中しているのも、象徴的である。自民党を支える層も、二極分化しているのである。
 だが、私は麻生氏は、小泉氏のようにはカタルシスをもたらしはしないだろうと思う。ぶっ壊すというイメージを作れる人間だったら、参院選敗北直後いち早く安倍首相に「続投を支持する」と伝えるといった、こすからい真似はしないだろうから。ここがターニングポイントだと直感したら、そんな内輪の関係をもとに禅譲を画策したりせずに、大胆な策略で正面突破して首相になろうとするだろうから。むろん、街頭で麻生氏に熱狂する者には、そんな細かなことはどうでもよく、「キャラが立っている」ことのほうが重要なのだろうけど。
 小泉首相退陣以降の一年間の不満が、また爆発を求め始めている。少なくとも都市部や若い世代やネットの世界ではそのようなフラストレーションが飽和しようとしている。
 福田氏は、総裁選の間は穏和なイメージを演出し続けていたが、官房長官時代はいつも他人事のような、人を見下したような、冷たい感じのする人間だった。その極みは、イラク人質事件が起こった直後、まず人質を非難するようなトーンで会見をしたときだろう。私はこの人が安倍首相以上に国民の立場で政治を行うとは思っていない。官房長官時代に福田氏の仕えた内閣がどんな政策を実現したのか、有権者は忘れてはいけない。
 メディアも、単なる一政党の責任者を決める選挙を、まるで天下分け目の決戦であるかのように報道した。いくら総裁が首相になるとわかっているとはいえ、自民党の報道機関みたいだった。まるでカタルシスを求める者たちの要求に必死で応えていたかのようだった。この派手さは、郵政民営化解散の時を思わせる。すなわち、政治の側が仕掛けたネタやエピソードに飛びついて、連日大きな出来事が起こっているかのようにドラマを作ろうとしたのだ。
 何もかも、たった数年の出来事さえすっかり忘れて、繰り返している。
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by hoshinotjp | 2007-09-24 11:18 | 政治