2007年9月29日(土)

 ミャンマーでフリージャーナリストの長井健司さんが治安部隊に射殺された事件。なぜ福田内閣は、「勝手にそんな地域に行かれると困るんですけどね」というようなことを言わないのだろうか? ネット上ではどのように言われているのかわからないが、少なくともメディアを見る限り、「自己責任だ、死んで当然だ」という言葉はどこにもない。
 いったい、3年前のイラク人質事件と何が違うというのだろう? フリージャーナリストの橋田さんがイラクで殺されたときと同様、殺されたら痛ましく偉く、人質として生きていたら迷惑な連中ということか?
 あのときとの違いを考えてみる。
 ミャンマーでは、情報をコントロールしたがっているのは、ミャンマー政府である。国内外において、このデモを小さく見せ、自分たちの武力弾圧を正当化したいからだ。そのために一切の報道陣を締め出そうとしている。
 イラクで報道陣をシャットアウトしたがっていたのは、アメリカ政府と軍である。時に「人道的」ではない攻撃を行うのに、報道陣に事実を記録されたら、自分たちの攻撃を正当化できなくなる恐れがあるからだ。そんな中で人質事件は起こり、アメリカの苛立ちを代弁するかのように、福田官房長官は「迷惑だ」というような内容の言葉を真っ先に口にした。そして、小泉首相の懐刀・飯島秘書官とともに、「自作自演疑惑がある」とニセ情報をリークすることで「自己責任論」が世論となるよう陰に陽に誘導していった。
 つまり、武力によって情報をコントロールしたい側が敵か味方かで、現場の前線に踏み込んだ個人の評価も変わっているということだ。ジャーナリストや人道支援のボランティアが、そのような権力を持つ側の意向とは独立して存在していることは言うまでもない。そして、独裁国家でなく民主国家なのであれば、そのような個人を排除することは本当はできない。
 長井さんの死を、自分たちのカタルシスに利用することは許されない。
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by hoshinotjp | 2007-09-29 05:53 | 政治