2008年1月14日(月)

 ここ数年の日本のナショナリズムの高揚と比べると、去年は少し熱狂が冷めた感がある。その要因は、安倍政権の失墜により政治がカリスマ的にナショナリズムを引っ張る能力を失くしたこと、ワールドカップや五輪やWBCなどの「国民的熱狂」を掻きたてる国際スポーツイベントがなかったこと、ワーキングプアなどの経済格差を作り出す構造が顕在化してナショナリズムでは覆い隠せなくなったこと、などが挙げられよう。
 それにしても、小泉時代を振り返ると、いかにナショナリズムが政治によって先導されるものなのか、改めて感じざるを得ない。北朝鮮や中国、韓国への激しい敵意も、政治がそのトーンを変えたのに合わせて、緩くなっていった。それはつまり、その敵意はその場の気分でしかなく、論理的なものではなかったことを意味する(言いがかりみたいなものだということ)。それは日本だけでなく、韓国、中国についても言えよう。また、ロシアではナショナリズムが高揚している真っ最中だが、それを主導しているのは政治である。
 もちろん、主導する政治家に全責任があり国民は洗脳されていただけ、というわけでは全くない。両者の共犯関係の上で、確信犯的にナショナリズムは燃え上がる。
 逆に言うと、いまは多少沈静化しているように見えても、それは表面的なものに過ぎないということだ。火付け役が登場すれば、即沸騰する。この夏には北京五輪がある。ちょっと嫌な予感もないではない。
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by hoshinotjp | 2008-01-14 22:26 | 政治