2008年5月11日(日)

 このところの報道で耐えがたいと感じるのは、硫化水素自殺である。この問題がクローズアップされてから、硫化水素で自殺をすると報道されるため、新聞紙面には自殺の記事が急増した。
 日本では自殺者が年間3万人を越し、それがすでに10年も続いている。年間3万人とは、単純計算で1日80人である。40人のクラス2つぶんの人が、毎日自ら死んでいく。けれど、何か目立つ事由(いじめだとか著名人だとか)でないかぎり、自殺は報道されない。だから、身近な人が自死しないかぎり、毎日80人もが死んでいくという実感を得ることもない。
 それが、この「硫化水素」問題により、逐一報道されるようになった。そのとたん、新聞の社会面は自殺に覆われることとなったのだ。
 私はこの、無関係な人たちが何人も同じ1日に自死していく、という実感に打ちのめされている。現実には、硫化水素以外で死ぬ人がさらに何倍もいるのである。そのすべてが報道され、紙面の何ページにもわたってその記事が羅列されている様子を思い浮かべてほしい。1日に80もの自殺記事を読むことを想像してほしい。しかもそれが毎日、途切れることなく延々と10年以上続くのである。それは、耐えがたいとか気が滅入るといった生やさしい言葉で表現できるような事態ではない。こんな常態にさらされて正常な心を保てる人間はいない。日々の根本的な感覚や常識が変わるだろう。自死していない自分を不安に感じ、風邪薬を飲むかのように死のうとすることになるだろう。
 それが今の現実の、正確な姿なのである。そのような社会に、私たちは生きている。ただ、自殺が目に見えないから、自分とは隔てられた出来事のように感じるだけだ。本当は、自死はすぐ隣にいて、誰にでも声を掛けようとしている。
 毎日80人を自死に追い込む社会は、一見そう見えなくても、怖ろしくゆがんでいる。チベットやビルマやウイグルとは違う形にせよ、無形の、得体の知れない強権に抑圧されている。その「強権」とは、いったい何なのか? それを直視しないと、自殺は減らない。
 硫化水素自殺が急増する中、まずはこの方法での自殺を阻止する当面の措置が必要なのはいうまでもない。でも、問題の要は、「硫化水素」にあるのではなく、「自殺」にあるのだ。だが、報道を始め、この話題をめぐる言説は、「硫化水素」ばかり見て、自殺で死んだ者の具体性をカッコに入れてしまっている。死ぬ人をとりあえず脇に置いて、目を逸らしている。そしてそのまま放置している。死人など存在しないかのように。
 私はこのことに強い違和感を覚える。それが自殺社会を作り出している「強権」ではないのか、と問いたくなる。耐えがたいのは、そのことだ。
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by hoshinotjp | 2008-05-11 11:09 | 社会