2008年6月20日(金)

「逮捕」について考える。
 今日は、捕鯨肉を盗んだとしてグリーンピースのメンバーが逮捕された。
 宅配便の配送所に忍び込み、他人の宅配物を持ち去る、という行為が、「証拠品として確保した」という理由で正当化されるのかどうかは、私もわからない。これが成り立つとなると、告発さえすれば郵便物を無断で抜き取ることは罪に問われなくなったりするかもしれない。これを権力を持つ人間に濫用されると怖ろしいことになる。グリーンピースのやり方は微妙な問題を含んでいるとは思う。
 ただ、私が違和感を覚えたのは、逮捕して身柄を拘束する必要があったのかどうか、という点だ。どうも、この「逮捕して身柄を拘束し、家宅捜索をする」というパフォーマンスのほうに重点があったように感じられもするからだ。つまり、警察の威力をこれ見よがしに見せつけたわけだ。
 最近、この手の逮捕が増えている気がするのである。先ごろ有罪が確定した、立川の自衛隊官舎でのビラ配布事件。4月には、早稲田大学文学部で、キャンパス内で演説をしていた早稲田の学生が、教員によって警察に突き出され現行犯逮捕されている。
 いずれからも感じるのは、「思想犯は抹殺しろ」というような雰囲気である。現在の日本では、思想信教の自由が憲法で保障されており、思想犯という犯罪はありえない。にもかかわらず、時の政権・実権を持つ側にとって目障りな考え方をする人間を、言わば別件逮捕に近い形で弾圧しようとしている。
 この傾向が強まっている背景には、世間がそれを許しているから、ということが間違いなくある。これらの事件で逮捕されるような思想の持ち主は、いずれも「特殊」で「過激派」っぽくて「普通ではない」人たちだと、世間は見なす。つまり、「あちら側」の人間だとして、「われわれ普通の人」との間に線引きを行ってしまうのだ。
 世論が線引きをして「あちら」と見なした人間には、もう何をしてもよい。とにかく犯人は罰せよ。
 そういうムードの中で、逮捕劇が演じられる。見せしめの暴力が、堂々と振るわれる。
 排除すればするほど、排除した側はやましさにさいなまれる。復讐されないかと不安になる。だから、過剰な自己正当化が必要になってくる。自分たちを正当化するために、さらに「間違っている連中」を作り出そうと、苛烈な排除を繰り返す。
 いったいこれで誰の気が休まるのだろうか。
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by hoshinotjp | 2008-06-20 22:51 | 社会