2008年8月27日(水)

  ◆自殺という戦争◆
 終戦の日がお盆のさなかにあることにはいつも、巨大な追悼の意思が働いているような不思議な感慨を覚える。だが、近年は「終戦」という言葉が少し空しく感じられる。確かに爆撃などはないけれど、本当に平和なら、どうして年間三万人以上もの一般人が、自殺していくのだろうか。 十年連続で三万人超、合計三十万人が自ら命を絶っている。一つの都市が消えたようなものだ。自殺志願者や未遂者を含めると、数は十倍にのぼるとも言われる。つまり、少なくとも三百万人以上が死の瀬戸際まで追いつめられている社会なのだ。
 数字で言ってもピンと来ない人は、自分の周囲を注意深く見回してみるといい。該当する者が必ずいるはずだ。私は、この五年で、四人もの知人を自殺で失った。
 自殺者の苦しみは、周囲の者に受け渡される。私は、戦時中に生き残った人が死者にやましさを覚える気持ちを、少し理解できるようになった。この感情は、死者が返らない以上、消えることはない。
 三百万人が、生きづらい社会から自らを消す代わりに、自分を追いつめた社会を壊す、つまり他人を破壊しようとしたら、どうなるか。その兆候は、無差別殺人の増加という形で現れている。現状ではこの傾向は強まるばかりだ。
 死者を追悼するとは、その苦しみを理解しようと努めることだ。今年のお盆には、身近で自殺した者たちの、表明されなかった言葉に耳を澄まそうと思う。
(東京新聞 2008年8月15日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-08-27 21:53 | 社会