2008年9月7日(日)

 福田首相が辞意を表明した日の日記で、私は「何はともあれ、現実生活の嫌なことは忘れて、この魔術的コメディを楽しまなくちゃ! そのために政治はあるらしいから。」と書いた。でもこれは政治家への当てこすりではなく、現在の日本の政治と有権者の関係を見ての感想である。
 なぜ、一団体の内輪の出来事である、自民党総裁選挙が報道されるだけで、支持率が大幅に上がるのか? この政党の政権に、生活を破壊されて苦しんだ記憶は、「総裁選」のひと言で忘れられるのか? 国政選挙を経ずに政権交代を3回もしていること、つまり私物化されている事態に対し、何も思わずに、「わー総裁選だー」と、なぜ盛り上がれるのか? 報道機関はどうして、平然と一政党の広報機関に成り下がって、総裁選挙を華々しく盛りたてられるのか?
 その答えが、上記のような感想である。「総裁選」は、現実の嫌なことなど忘れさせて、少しの間、夢を見させてくれる、オリンピックみたいな一大イベント、なのだろう。つまり、熱狂によって現実を覆い隠してくれる、「祭り」というブラインドなのだ。そうでもなければ、一団体の、各候補が本気で総裁を目指しているとはとても見えないあまりにも軽い総裁選に、党員でもない人間が盛り上がれるはずがない。
 この傾向を作り出したのは、言うまでもなく小泉元首相だ。あの時代の熱狂がいまだ忘れられず、性懲りもなく盛り上がってしまうのは、WBCが忘れられずに五輪野球に過剰な期待をしてしまう現象と似ている。小泉元総裁が自民党をぶっ壊したのに、なぜまだ自民党はあるのだ? ぶっ壊れた残骸が政権を取っているから、政治がこうなっているのではないのか? などと疑問には思わないのだろう。
 ちまたのこの性懲りもなさが、自民党の性懲りもなさを支えている。祭りというブラインドの陰で、自民党が何をしているのか。見たくないことを見ないようにしている限り、苦しむのは私たち自身だ。
 ちなみに、1年前の日記では、こんなことも書いている。日本相撲協会も、性懲りもない。いずれも、亡霊が統治している。
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by hoshinotjp | 2008-09-07 10:08 | 政治