2008年9月12日(金)

   ◆人事社会、日本◆
 一九八〇年代末、私は駆けだしの新聞記者として、地方支局で県政を担当していた。見よう見まねで覚えた政治の取材とは、ひたすら政治家及び役人の人間関係や力関係を把握する、というもので、どのような政策が実行されているかなどは二の次だった。黒幕は誰か。県議Aと県議Bは犬猿の仲だから、Aが賛成するあの政策はBが反対して実現しないだろう云々。
 今にして思えば、私はただただ「政局」の取材にだけ力を注いでいたことになる。人事に精通することが、県政を掌握することだと、勘違いしていたのだ。
 だが、悲しいかな、この勘違いは、現実にはかなり有効でもあった。なぜなら、多くの政治家が、自分の利権以外は人事にしか関心がなかったからだ。政治を動かす大きな原動力は、その人の思想以上に、人間関係だったのだ。
 この構図、何かに似ていないだろうか。そう、大分県教委である。能力よりも人脈がものごとを決するという原理は、ほとんど同じなのだ。
 さらに視野を広げてみれば、私の所属していた会社だって、同様の人事原理が大きな力を働かせていた。おそらく、日本の組織はどこも似たり寄ったりだろう。
 日本社会は、その人がどんな仕事をしたか、ではなく、その人が誰と関係あるのかで動く。派閥への配慮によって作られた福田内閣は、人事優先社会である日本の象徴にすぎない。そう考えると、政治家に限らず、既得権を持つ業界が二世三世四世ばかりなのも、説明がつくだろう。有利な人間関係を最初から持っているのだから。
 いじめ体質もここに一因があるだろう。表面上の人間関係の維持がすべてなのだから。
 (東京新聞 2008年8月29日付夕刊1面「放射線」 一部改稿)


「自民党総裁選」という内輪のオヤジ的な余興も、人事異動後に温泉宿で行われる社員旅行みたいなものだ。その会社の社員以外には関係ない余興。
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by hoshinotjp | 2008-09-12 12:08 | 社会