2007年 12月 20日 ( 1 )

 佐世保の猟銃殺人事件、情報が明らかになるにつれて、当初、流布していたイメージとは異なってきた。
 第一に暗い気持ちで認識するのは、やはり「性」がらみで男が女を殺す事件だったのだ、ということ。今、男の起こす事件のかなりのケースで、「性」はその根っこの原因となっているような気が、私はするのである。
 第二に、無差別に発砲して怪我人が出た場面もあるとはいえ、特定の人物を狙い撃ちしている以上、「乱射事件」という言葉の持つイメージとは少し違うこと。アメリカでコロンバイン高校の事件以降、頻発している無差別乱射事件とは、若干性質が異なるように思える。銃がなかったとしても、何らかの方法で二人を殺そうとしたのではないか。ただし、一方的に破滅を求めている感じは、通ずるものがある。
 アメリカと同じような無差別乱射事件が起こった、というイメージが先行すると、治安は悪くなっているという不安が急速に増大し、排除欲と疑心暗鬼がパラノイア的に肥大する。その結果、社会はさらに息苦しくなり、その息苦しさを暴力で解消しようとする者がますます増えることになる。
 そして第三、日本社会にたくさんいるであろうが表面には見えてこない、イライラを飽和させている人たちに、「この手があったか」と大いなる啓示を与えてしまったかもしれないこと。合法的に銃を所持することは、労力さえ払えば案外難しくない、という印象を、日本中に広めてしまったのが、この事件の最も嫌な性質である。
 これから何年かのうちに、この事件がきっかけで銃を持つようになった者たちが、より一層おぞましい事件を次々と起こしていくような気がしないではない。
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by hoshinotjp | 2007-12-20 03:37 | 社会