カテゴリ:政治( 74 )

 格差社会を拡大させ続けるのか、何らかの手を打ってその傾向を変えるのか、今、世界の未来がどちらへ行こうとしているのか、その分岐点の一つが、ボリビアにある。ボリビアは今、未来への最前線の一つとなっている。
 エボ・モラーレス大統領は2年半前に就任して以来、天然ガス国有化や大土地所有制の廃止(農地改革)を進めているが、その利益を独占してきた既得権益層は当然のごとく抵抗、さまざまな「実力行使」で妨害してきた。この膠着状態を打開するため、エボ・モラーレス大統領は8月に国民投票を実施、6割以上の得票で信任を得たが、反大統領派は実力行使をエスカレートさせ、暴動を続発させている。
 そしてついに今週10日水曜日、エボ・モラーレス大統領は、暴動を背後で画策してきたとして、アメリカ大使に国外退去命令を発令した。
 ラテンアメリカとあまり縁のない多くの日本の人には、馬鹿げた話に思えるかもしれない。「反米左派」と形容されるエボ・モラーレスが突飛な行動に出たのだと、新聞記事を読めば思うかもしれない。
 だが私には、アメリカ政府は本当に暴動に関わっているのだと思える。実際に何十年にもわたって、CIAが中南米の国々で暴動を起こさせ、いくつもの内戦を仕掛けてきた歴史が繰り返されてきたのだ。それらは「汚い戦争」と呼ばれている。カネのためにアメリカが他国内で仕組んだ内戦だからだ。冷戦崩壊後は、アメリカはそれを中東で行おうとした。石油を意のままにするために。そして今度は、天然ガスをボリビア国民に渡してなるものかと、妨害工作をする。民主的に選ばれたはずの大統領の施策に、アメリカを味方につけた地方の有力者たちが従わず、ボリビアからの分離を画策し、暴動を起こす。アメリカは、自ら民主主義を壊している。ロシアがグルジアに対して取っている行動と変わりはしない。
 ラテンアメリカ諸国で、アメリカとは距離を置き、それまでアメリカ主導で進めてきた自由化路線を見直そうとする大統領が、ここ数年で続々と誕生している。それを先導してきたのは、ベネズエラのチャベス大統領だが、私はチャベスをどうしても好きにはなれない。その強権体質を信用できない。反米のためならプーチンと手を組むなんて、もってのほかである。しかし、強権を発動したりはしないエボ・モラーレスには、大いなる可能性を感じてきた。彼はこの2年、大変粘り強く民主的な手続きに則って、貧困を生む制度を根本から変えようと努めてきたと思う。だからこそ、その政策は実現しつつあるのだ。それは石油の収益を元手とした、ポピュリズム的な社会福祉を実施しているベネズエラとは、似て非なるように感じる。
 ボリビアの社会改革がアメリカ(と国内の既得権益層)につぶされるようなら、アメリカの陰にある日本でも、格差社会が根本的に解決されることは不可能だろう。投資家のためでしかない自由化社会は、形を変えて保持され続けるだろう。
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by hoshinotjp | 2008-09-13 22:45 | 政治
 福田首相が辞意を表明した日の日記で、私は「何はともあれ、現実生活の嫌なことは忘れて、この魔術的コメディを楽しまなくちゃ! そのために政治はあるらしいから。」と書いた。でもこれは政治家への当てこすりではなく、現在の日本の政治と有権者の関係を見ての感想である。
 なぜ、一団体の内輪の出来事である、自民党総裁選挙が報道されるだけで、支持率が大幅に上がるのか? この政党の政権に、生活を破壊されて苦しんだ記憶は、「総裁選」のひと言で忘れられるのか? 国政選挙を経ずに政権交代を3回もしていること、つまり私物化されている事態に対し、何も思わずに、「わー総裁選だー」と、なぜ盛り上がれるのか? 報道機関はどうして、平然と一政党の広報機関に成り下がって、総裁選挙を華々しく盛りたてられるのか?
 その答えが、上記のような感想である。「総裁選」は、現実の嫌なことなど忘れさせて、少しの間、夢を見させてくれる、オリンピックみたいな一大イベント、なのだろう。つまり、熱狂によって現実を覆い隠してくれる、「祭り」というブラインドなのだ。そうでもなければ、一団体の、各候補が本気で総裁を目指しているとはとても見えないあまりにも軽い総裁選に、党員でもない人間が盛り上がれるはずがない。
 この傾向を作り出したのは、言うまでもなく小泉元首相だ。あの時代の熱狂がいまだ忘れられず、性懲りもなく盛り上がってしまうのは、WBCが忘れられずに五輪野球に過剰な期待をしてしまう現象と似ている。小泉元総裁が自民党をぶっ壊したのに、なぜまだ自民党はあるのだ? ぶっ壊れた残骸が政権を取っているから、政治がこうなっているのではないのか? などと疑問には思わないのだろう。
 ちまたのこの性懲りもなさが、自民党の性懲りもなさを支えている。祭りというブラインドの陰で、自民党が何をしているのか。見たくないことを見ないようにしている限り、苦しむのは私たち自身だ。
 ちなみに、1年前の日記では、こんなことも書いている。日本相撲協会も、性懲りもない。いずれも、亡霊が統治している。
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by hoshinotjp | 2008-09-07 10:08 | 政治
 魔術的リアリズムだね。私が混乱していた、失敬、失敬、今は2007年9月だった。ちょっと、2008年9月に生きているという夢を見ていたところ。1年得した。いや、損したのかな? 夢の中では農水大臣問題で追いつめられて福田首相が辞任したけれど、現実に辞任したのは安倍首相だったよね、で、その農水大臣て誰だっけ?……
 連立がきしみ、国会を乗り切れなくなる見通しならば、解散するのが首相の責任ではないのか。まあ、責任よりも事なかれを大事にする人だから、次の国会が乗り切れそうになかったら選挙になるから、その前には麻生さん、あなたに譲りますよ、ということで合意されていたのだろう。さもなければ麻生幹事長はありえない。だから、知る人は知る辞任だったのかもしれない。
 何はともあれ、現実生活の嫌なことは忘れて、この魔術的コメディを楽しまなくちゃ! そのために政治はあるらしいから。
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by hoshinotjp | 2008-09-01 23:58 | 政治
 ついに心配していた事態が起こった。グルジアの内戦にロシアが介入し、グルジアとロシアの間に戦争が起こりかけている。アンナ・ポリトコフスカヤの『チェチェン やめられない戦争』を読んで以来、数年にわたってロシア及びカフカス地方に関心を持ってきたのは、こういうことが起こりうると不安だったからだ。これは第二次大戦前の、中国東北部の状況と似ている。ウイグルやチベットの問題も、構図はこれと共通している。最悪の事態に陥る前に、収束してほしい。

追記
 その後、グルジアとロシアは全面的に戦争状態に入った。グルジアは今、戒厳令が敷かれている。戦争状態とは、一般の人が住む地域が爆撃され、死者が多数でているということだ。ロシアはグルジアの都市を、グルジアは南オセチアの町を、それぞれ攻撃している。ネットでもこの様子を映した映像・画像は見られる。
 いずれもが自分の攻撃の正当性を主張するその根拠は、冷戦崩壊後、大国が各地で侵略、攻撃を行ってきた際の「屁理屈」から導き出されている。経済的な利益のために、言葉だけの正義を理屈として持ち出し、他国・他民族を攻撃蹂躙する。それを、ロシアもグルジアも真似しているのだ。チベットやウイグルで持ち出される理屈も、基本的には、近代化の過程で先進諸国が過去に国力を拡大させる際に用いた言い分の、醜悪なコピーだ。歴史は三度、四度と繰り返すうち、「茶番」とも呼べない、劣悪なコピーと化してしまった。
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by hoshinotjp | 2008-08-09 12:05 | 政治
   ◆味覚の洗脳◆
 小麦の高騰や食の安全意識の高まりにより、米の売れ行きがよいそうだ。わが家でも、毎朝パンを食べていたのを、白いご飯に変えた。すると、食習慣が微妙に変わった。
 まず、生野菜をあまり食べなくなった。パンに付け合わせていたサラダの代わりに、おひたしなどが増えたのだ。ハムやウィンナーや卵に、納豆と海苔が取って替わった。もともと好きだった味噌汁と緑茶は、消費量が倍になった。
 スーパーでは米だけでなく海苔の売れ行きも増えたというから、皆、同じような変更を考えているのだろう。
 そもそも、日本はなぜ、パン食を拡大させていったのだろうか。
 十六年前に中米のエルサルバドルを貧乏旅行したときのこと。当時は、アメリカの支援を受けた軍事政権と、民主派の反政府ゲリラとの間で繰り広げられた内戦が、終結したばかりだった。私は現地で知り合った大学の先生に、高級住宅街へ連れていってもらい、小洒落たレストランでパスタをごちそうになった。その小麦は、アメリカからの援助によるものだという。だが、中米はトウモロコシ文化圏である。小麦はアメリカ資本の巨大食品産業に渡り、パンやパスタやピザとなって高級住宅街で消費されるのだ。
 このとき私は、日本で第二次大戦後にパン食が拡大した仕組みを理解し、ショックを受けた。私たちは、味覚を洗脳されていたのだ。
 今、本当に必要とされているのは、洗脳を促す「食の自由化」ではなくて、「食の民主化」ではないだろうか。
(東京新聞 2008年8月1日付夕刊1面「放射線」より)

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by hoshinotjp | 2008-08-08 15:59 | 政治
   ◆エコはどこへ?◆
「とにかくエコネタはないか、って上司がうるさいんだよね。この期間、エコ番組を放映しない日はないからね」
 テレビ番組を作っている友人がこうぼやいていたのは、二週間ほど前。だが、今はもうそんな要求もすっかり消えたという。なぜなら、洞爺湖サミットが終わったからだ。
 テレビだけではない。サミット開催に至るまでは、映像・活字と媒体を選ばず、いたるところから「エコ、エコ」の大合唱が響いてきた。
 環境問題への啓蒙それ自体は悪いことではない。私自身は昔から、ゴミの捨て方に厳しくて周囲から煙たがられる環境原理主義者だから、普段なら歓迎しただろう。でも、このたびの盛りあげ方には、違和感を覚えた。理由は二つ。
 まず、政府が主催するサミットに合わせ、大手メディアが足並みをそろえて、ちまたの関心を温暖化問題へと誘導するさまは、さながら政府の広報機関のようだった。一方で政府のサミット戦略を批判しつつも、サミットをわかりやすいイメージで報道しようとするあまり、安易に「エコ特集」を連発し、「環境サミットを成功させた」と印象づけたい政府の路線に、結果的に乗ってしまったのだ。
 世間のマジョリティも、環境問題を軽い祭りのように受けとめ、「自分も参加している」という気分を味わって満足したように見受けられた。終わってしまえばその祭りは過去のこと、次の熱狂を欲するのが、今の社会だ。
 メディアには、そんな熱狂を冷ます存在であってほしいものである。
(東京新聞 2008年7月18日付夕刊1面「放射線」より)

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by hoshinotjp | 2008-08-01 11:52 | 政治
「コロンビアの良心」
 反政府ゲリラに拘束されていたコロンビアの政治家イングリッド・ベタンクールが先週、軍による劇的な無血救出劇によって、突然、解放された。世の中から希望がついえるような出来事ばかりなので、このニュースは本当に嬉しい。
 彼女がコロンビア革命軍(FARC)によって誘拐されたのは、二〇〇二年、大統領選の最中だった。以後、逃げ出さないよう三年にわたって首輪でつながれるなど、数々の虐待を受けたという。
 六年以上、恐怖を強いられたにもかかわらず、戻ってきたベタンクールは、拘束される前の毅然としたベタンクールそのままだった。報道によると、FARCのやり方を厳しく断罪しながら、「武器を捨てて、ベネズエラのチャベス大統領のように合法的に世を変えることを考えろ」と促し、また自分を救出した「テロとの戦い」推進派のウリベ大統領を評価しつつ、「過剰に憎しみをあおる物言いはそろそろ変えるべきだ」と語る。
 私はベタンクールのこんな姿勢に、いつも勇気づけられてきた。徹底して筋を通し、妥協せず、諦めない。麻薬組織と結びついた腐敗政治を一掃するという信念のもと、大統領を始めさまざまな政治家の不正を容赦なく暴いていく。その様子は、誘拐される前に書かれた自伝『それでも私は腐敗と闘う』(草思社)に詳しい。
 絶対に口をつぐまない。見て見ぬふりをしない。その態度を示し続けるだけで、どれだけ大きな希望をコロンビアの人々に与えたことか。同じ態度は、日本でも応用可能だと私は思っている。
(東京新聞 2008年7月11日付夕刊1面「放射線」より)

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by hoshinotjp | 2008-07-25 23:51 | 政治
 第二次大戦以降、20世紀の間は、さまざまな地域で利己的な戦争・紛争が起こり続けてきたけれど、一方で世界の力関係をほどほどのところで拮抗させ、均衡を図ることで安定させようともしてきた。そのための知恵も絞り出されてきたのである。その意味では、リアリストでもあった。
 けれども、21世紀に入ってからは、せっかく絞り出されてきた均衡を図るための知恵を、あっけないほど簡単に捨て去ろうとしているように思える。原油や食料価格の高騰を見ていると、カネのある連中のあからさまな買い占めを国家が保証しているように見える。20世紀には大手を振ってはできなかった破廉恥な行為を、今は当然の権利と言わんばかりに平然としでかす。
 ブッシュ政権に象徴されるかれらには、均衡を壊して自分たちが肥え太ることが、自分の生存を保証している環境を破壊することになる、という、リアリストが持つはずの想像力が働かないのだろう。騰貴によって利権と支配を強固にできると思う者たちは、リアリズムを持たない妄想家・偏執狂だと言える。
 日本は二代目三代目四代目の社会だから、ひたすら傾く運命にあると私は思っているが、それは世界についても言えることなのかもしれない。
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by hoshinotjp | 2008-06-18 22:39 | 政治
 少し前、北京オリンピックの聖火リレーが各国で行われ、大勢の中国人留学生たちが集結し、「愛国」を掲げて「チベットは国内問題」と大合唱する異様な姿を見ながら、私が感じたのは、「愛国教育」の怖ろしさである。中国以外のどんな立場から見ても、チベットは植民地化されていると言ってよい。にもかかわらず、外部からのまっとうな批判に対して、漢民族の学生を中心とする若者たちが、まったくやましさを覚えずに自己正当するスローガンを叫び、外国の報道のほうが偏っていると断言し不買運動ができるのは、「国を愛する心」を教育を通じて叩き込まれた世代だからこそだろう。
 この光景は、強烈な愛国教育が実施されていた戦前の日本とそっくり重なる。朝鮮を併合し、満州を植民地としながら、諸外国から批判されると、日本の世論は「おかしいのは外国のほうだ」と沸騰した。国際連盟からの脱退をやってのけた松岡洋右は、英雄視された。自分たちは満州や朝鮮に利益をもたらしてやっている、と主張した。これは今、中国がチベットについて行っている主張とそっくりである。
 中国政府や漢民族の人たちのこういった態度に違和感を覚えるのであれば、日本で今、少しずつ広がっている「愛国教育」についてもよく考えたほうがいい。日本でもこのまま愛国教育が強化されていけば、こんな自己中心的で醜くおぞましい姿をさらすことになるだろう。そしてそれが自滅をもたらすことは、歴史を振り返ればよくわかることだ。
 むろん、日本でもそうだったように、中国にもこの風潮を批判的に捉えている人たちはたくさんいて、ちらりほらりと声は聞こえてくる。そのことを見失わないようにしたい。
 それにしても、この時期に何ごともないかのように胡錦涛主席と首脳会談をしている福田首相は、彼の持ち味の事なかれ主義、他人事主義の真価を最大限に発揮している。事なかれだから卓球もしないそうだ。首脳会談は拒むよりしたほうがいい。それでもっとなまなましく駆け引きをするべきなのだ。でも何もしているようには感じられない。それをしなければ国益が損なわれるわけでもないのに靖国を参拝して国交が滞るのもおかしいが、チベットでの弾圧事件が国交に何の差し障りももたらさないというのも、とてもおかしい。

072.gifスパムメール対策のため、トップページに掲載している当サイトのメールアドレスを変更しました。
072.gifトップページと日記の画像も変えました。冬に訪ねた鳥羽水族館のジュゴン(日記)とセイウチ(トップページ)です。
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by hoshinotjp | 2008-05-08 22:49 | 政治
 本日11日の東京新聞夕刊で、摂南大学の北條ゆかり教授が、オリンピックを前にした開催国による国内住民虐殺について、1968年のメキシコと今回の北京を比較した記事を書いていた。
 北條氏の説明にあるとおり、40年前のこの事態に抗議したのは、当時メキシコの駐インド大使を務めていた、ノーベル賞詩人であるオクタビオ・パスで、大使を辞任した。
 その後、東西冷戦下の1980年代のオリンピックでは、モスクワとロスでそれぞれ西側、東側がボイコット、選手は参加できなかった。
 今回は、いったいどのような抗議が可能なのだろう? 3月17日の日記にも書いたとおり、オリンピックは政治及びナショナリズムと切り離せないイベントである。スポーツと政治(と、今は経済も)が表裏一体となる形で、近代スポーツは発展してきた。スポーツに政治を巻き込むなと言うが、参加の単位が国家である巨大な大会は、その存在が政治的以外のものではありえないのだ。
 ただし、選手は必ずしも自らの政治的考えに従って参加するわけではない。近代スポーツの国際大会の政治性を内側から食い破れるのは、選手でもあるのだ。だから、選手の参加できないボイコットという手段は、たんに参加国の政治的な仕掛けに乗ってしまうことを意味する。
 各国政府の対応としては、そのあり方に対する批判をはっきりと表明することと、その態度表明の手段として開会式をボイコットするという手段が、今のところ模索されているわけである。
 だが、ヒトラーの時代のベルリンオリンピックに象徴されたように、オリンピックは超強力なメディアだからこそ、国家(特に発展の渦中にある国)は威信を賭けて開催するのだ。見る者に、国家側の望むありとあらゆる「洗脳」を施すのに、絶大な効果があるからだ。
「見る者」とは、中国の住人と、私たち他国の住民である。つまり、各国政府だけでなく、私たちオリンピックを見る側が何らかのボイコットをしないかぎり、中国政府には世界の非難を突っぱねて現状で開催するメリットのほうが大きいのだ。そのメリットとは当然、競技を見に来る人や放映を見る人から得られる経済的な利益、そして自らの大国化実現だろう。
 私は一個人として、どのようなボイコットが可能なのか、どうすればオリンピックを中国政府のためのメディアでなく単なる競技会に変えてしまえるのか、そしてどうすれば参加選手が政治性を無効にしてしまう可能性を残せるのか、思案している最中である。開催直前まで、中国政府の対応を注視しながら、迷い続けるだろう。
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by hoshinotjp | 2008-04-11 22:20 | 政治