カテゴリ:政治( 74 )

 1月に気合いを入れ続けた反動で、やや気が抜け気味。来週はちょっとだけ休暇を取る。
 近々、パソコンを一新するのに伴い、ワイヤレス(つまり接続コードのない)の、少々値の張るキーボードとマウスを先に購入したところ、これが素晴らしく調子がよい。使い勝手がよくて、手の疲れが全然違う。

 柳沢厚生労働大臣の「産む機械」発言に対する批判が、ある時点で急に終息したのはなぜか? その後も、国会では異様な発言が続き、野党はその気であれば追求し続けてもおかしくなかったと思うのだが、そうはしなかった。たぶん、野党は安倍政権を生殺しのまま参議院選に持ち込みたいからだろう。柳沢伯夫が内閣にいる限り、ちまたのイメージは悪いまま保たれる、と計算しているからではないか。政権の側は、辞任を免れて、ダメージを抑えられたと判断しているのだろうが。
 要するに政治の舞台では、あの発言は政治的駆け引きの材料として終わったわけだが、政治家、ひいてはそれを選ぶ有権者によって構成されるこの社会の、根幹のメンタリティを考えるためには、この件はもっと掘り下げられる必要がある。
 だから、メディアまで政治と一緒になって問題を終息させてしまうのは、私には腑に落ちない。まるで与野党の戦略に乗って、その片棒を担いでいるかのようである。あの発言は失言などではないと感じるのであれば、発言に潜むメンタリティがマジョリティに実は共有されていてごく自然なこととされている風土をもっと探ろうとするべきではないのか。
 と、メディアを批判しつつ、一方で、メディア批判は楽なのだ、とも思う。何かあるとメディアを叩くのは、今や一つの流行となっている。わかりやすく他人のせいにできる手段でもある。メディアは受け手がいなくては成り立たない。メディアを批判するときは必ず、返す刀で受け手である自分たちをも批評しなくてはならない。
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by hoshinotjp | 2007-02-15 22:43 | 政治
 教育基本法臨終の日。法律の内容もさることながら、法の精神自体の転換が、変えたい者たちの目的だろう。国旗国歌法も、日の丸君が代を国旗・国歌として法で定めたことよりも、教育現場を始めとして、日の丸君が代を尊重しない(公の場で歌わない・起立しないなど)者を取り締まり罰することが、法制定の狙いだったと思えてくる。同じことが、教育基本法にも言えよう。教育の現場を整備するとともに、国民が教育を受ける権利と自由を保障するための法だったものが、国家機関が教育を統制して国民の教育に対する自由を制限するための法に変えられたのだ。「愛国心」のことも、そのような体質の法律の中に置かれるから強制となる。
「愛国心」「国を愛する心」は抽象的で、実際には内容がない。自由を制限する法の中で、その内容を決めるのは、教育者や親や生徒ではなく、国家である。だから、国民は何を愛さねばならないのかわからない、何を愛さないでいると罰せられるのかわからないという恐怖を、意識には登らない潜在的な部分に植えつけられることになる。
 おそらく憲法も同じ方向で変えられることになるのだろう。すなわち、国民の権利の保障から、国民の権利の制限・国家権限の増大という方向へ。
 だが、世論調査などを行えば、教育基本法も憲法も、自民党公明党の提唱する方向へ変えることに賛成の者が、半数前後を占めている。自分たちの権限が奪われて、既得権益層(親や祖父母から与えられた経済的政治的社会的権益を当然のものと見なし、庶民とは違う階層であるという意識を持つ者たち)の権益を守るだけでなくそれをさらに増大させ、国家の権限が視野に収まらないほど幅広く拡張されていっているのに、有権者・国民の半分はそれを望んでいる。既得権から排除されつつある者たちが、なぜ自分たちに不利な状況に変わることを望むのか、そのメンタリティと構造を考えないと、この憲法改変の流れは変わらないだろう。
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by hoshinotjp | 2006-12-15 23:54 | 政治
 昨日、今日の雨で、紅葉した葉がたくさん落ちて地面にべったり貼りついている。
 どうもブログで書くと自分の文章という気がしないのはなぜだろうか。やはりもとの形式の日記に戻すかもしれない。
 自民党の復党のニュースにうんざり。なぜこんな一組織の内部事情のニュースを延々と見聞きせねばならないのか。郵政民営化解散といって選挙をしたのだから、次の選挙まではその体制でいくのが筋だろう。復党させるなら選挙をして有権者の意を聞くべきだ。そういうことを主張しているメディアが少なくて、復党の条件のことばかり報じている。各メディアが自民党の一機関にさえ見えてくる。参議院自民党も、「さっさと決めないから、復党反対の世論を煽った」と中川幹事長を批判しているが、世論が気づかないうちに復党させるべきだったと公然と言っているようなものだ。郵政民営化解散で盛りあがった有権者は、怒るべきである。私は、郵政民営化解散などということ自体が成立しないと思うけれど。
 こういうゴタゴタが安倍内閣支持率を下げる原因の一つ、と分析している人が多い。関係なくはないと思うけれど、私が思うに、「期待はずれだ」と思っていた有権者たちの「期待」の内容は、安倍首相にもっと毅然とした態度を取ってほしかった、ということではないか。つまり、例えば外交なら、中国や韓国の首脳と会談して曖昧に譲歩するのではなく、強い態度で臨んでほしい、ということではないか。核武装論議についても同様だろう。「有権者は劇場型政治が恋しいのではないか」という支持率低下についての御厨貴のコメントに同感である。何でもいいから、ビシッと言って、自分たちをスカッとさせてほしいのだろう。
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by hoshinotjp | 2006-11-28 23:36 | 政治
 教育基本法の改正案が衆院を通過したが、各種世論調査でも改変への賛成者のほうが多数を占める現在、これを止めることは難しい。経済的社会的格差が開く一方の日本で、2代3代に渡って既得権益を蓄積してきた今の政治家たちが、その権益をさらに盤石なものにするためにも、教育基本法を変えようと欲望しているのははっきりしているものの、それだけで改変が可能になるわけではない。世論の支持があるからできるのである。履修漏れ問題やらいじめ自殺問題などで、教育を正さねば、という気分が高まり、それが安直に教育基本法改正賛成へと結びついているのだろうが、さらにその底を流れる気分を探ると、自分が自分であることを声高に言いたい、自分は日本人だ、中韓にナメられてたまるか、といった衝動があるように私には感じられる。この衝動は、この社会を覆い尽くしている排除のメンタリティ、つまり「いじめ」の衝動と同じ衝動だ。誰かを叩くことで、「我々」の一員であることを確認して安心する、というメンタリティ。
 この衝動は、私の中にも潜んでいる。つまり、誰か極悪の権力層のせいだけで、問題が起こっているわけではないということだ。各人が、この衝動に正面から向き合って、自覚し、衝動を解消するためにどうしたらいいのか考えない限り、いじめも、社会のタカ派化(繰り返すが、それらは同じ現象だ)も、エスカレートする一方だろう。歯止めはそれぞれの個人の中にしかない。誰かのせいにしてバッシングするのではなく、まさに自分自身の問題だという実感を持つことから始めるほかない。
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by hoshinotjp | 2006-11-18 23:43 | 政治