カテゴリ:社会( 74 )

 それにしても暑い。5月だけでいったい25度以上の何日夏日を記録しているのだろう。今年の気温の高さは尋常ではない。ここ何年も、高温傾向にはあるわけだが、今年は飛び抜けているように感じる。それゆえ、私は今年を「温暖化初年」と考えたいと思う。今年以前の地球環境にはもはや戻れない、という覚悟を決めるために。
 10日ほど前、雨が続いたあとの晴れで夏日となった日には、早くもヤブ蚊に刺されそうになった。5月上旬に関東南部でヤブ蚊である。2月14日に27度を記録したときは、4月に咲くはずのブルーベリーが咲いてしまった。今はもうアジサイが咲いている。温暖化が進めば進むほど、1本の杉の木が付ける花芽も増えて、花粉の量は増大する一方らしい。花粉症のピークは長々と続き、花粉症そのものは収まったものの、現在はじんましんや咳ぜんそくなど、様々なアレルギーが誘発させられている。去年の5月も、同じ症状に苦しんだ。これは、私に「冷房アレルギー」とでも言うものがあるせいでもある。あまりの暑さに、電車やビルなどの冷房をかつての7月ぐらいにガンガン効かせることになるからだ。今年も、電車の冷房の風を浴び続けたあとで、体調を崩しのどを痛めた。
 10年後の地球が恐ろしい。
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by hoshinotjp | 2009-05-20 23:23 | 社会
 あれほど過剰だった新インフルエンザ騒動は、民主党の党首選でいとも簡単に押しやられた感があるが、そのどちらよりも重要なのは、昨年の自殺の内容が発表されたことである。感染者が数名出ただけの軽いインフルエンザに対し、自殺者は平均で毎日100人。インフルエンザでの世界中の死者の何倍もの人が、日本一国で毎日死んでいるのだ。インフルエンザよりも、毎日100人ずつ死んでいく自殺者対策のほうがずっと緊急なのではないか。
 長らく拡大し続けていたのにずっと無視されていた貧困については、昨年の派遣村以降、ようやく実態が少し明るみに出て、理解もそれなりに深まってきている。それに対して、どうして自殺はこれほど黙殺され、理解されないのだろうか。
 かく言う私も、自殺について、少々安易な認識を持っていた。自分の近くでの自殺を体験し、深手を負い、『無間道』を書き、それがきっかけでライフリンクの清水康之さんの活動を知ってから、ようやく自分の抱いていた自殺のイメージが安易であったことを思い知らされたのだ。
 それまでの私は、大人が自殺することは、「死」を最終解決手段として肯定することであり、死の瀬戸際を生きているような今の子ども世代に、悪しき教育的効果を及ぼす、と思っていた。だから、どんなに追い込まれても自死という選択肢を取ることはよくないと考えていた。
 今でもその考えは間違っていないと思う。私が間違っていたのは、「自死という選択肢を選んでいる」と見なした点だ。自死をする人の大半は、選んでいない。袋小路に追い込まれて、それ以外の選択肢が存在しなくなって、自死に至る。たとえはたからは他の選択肢があるように見えても、当人にはそれらの選択肢は断たれているのだ。そこに、自死する当事者と、当事者ではない人との、埋められないギャップがある。
 膨大な自殺のケースを解析した『自殺実態白書』によると、自死する人は、平均で4つの原因を抱え込んでいるという。失業、多重債務、貧困(経済苦)、家族の崩壊、会社や家族からの抑圧、いじめ、住居の喪失、内面の問題、病気、等々、様々な苦境のうち、4つが重なったとき、その人は、自力で解決する余力を完全に失い、最後は鬱病ないしはそれに類する状態に陥り、判断力の崩壊した中で、自死に至る。借金で苦しいとか、仕事がないとか、一つだけの苦境であれば、まだがんばっていられるのだ。失業し、金がなくなって借金をし多重債務となり、日々食べるに困って、家も失う、となると、一つの苦境が四つ分に増えるのではなく、何乗にもふくれあがって襲いかかる。がんばりようがなくなる。いくら貧困だからって何も死ななくても、と、当事者でない者は思いがちだが、当事者はそれ以外にも3つ以上の苦境に置かれている。当事者ではない者にはその状況が見えない。
 ここで最も留意すべきことは、当事者は4つ以上の困難を「一人で」抱え込んでいる、ということだ。いくつかの苦境が重なるうち、当事者の人間関係が悪化したり消えていったりし、4つを抱えるころには相談したり頼ったり分かち合ったりする人がいなくなっているのだ。解雇されれば、職場の仲間が消える。失業や多重債務で、家族を失うケースもあろう。就職できずに非正規雇用で働き続けてきた者たちは、最初から人的ネットワークを持っていない。一人では絶対に背負いきれない重荷を4つも背負うことで、その人は押しつぶされるのだ。そのことも、人的ネットワークの中にいる「一般」人には見えない。
 湯浅誠氏は『反貧困』の中で、「ため」という言葉を使っている。余力と言ってもいい。苦境に陥っても、それをしのぎ跳ね返すためには、日ごろから予備の力を蓄えておくことが必要である。お金、健康、助けを求められる人間関係等々。それらがゼロになったとき、人は絶望する。「ため」があれば、多少の苦境は乗り越えられるのだ。自死する人は、その「ため」が底をつき、もはや踏ん張れなくなっている。その枯渇状態も、「ため」のある人々の目には見えない。だから「もう少しがんばれるはずなのに」などと、無理解なことを思ってしまう。
 このように、自分で選んではいないのに自らを殺すしかない死が、自死である。自分で選んでないのだから、それは当人の責任ではない。4つの苦境をもたらした側の責任である。自死遺族や周辺の者が最も苦しむのは、それをもたらしたのが自分ではないかという自責の念と、当事者でない者たちから、「自死を選んだ以上当人の責任、当人が弱いからだ」と見なされるその視線である。
 何度でも言う。自殺は、当事者の責任ではない。4つの苦境をもたらす社会の側に原因がある。その認識からしか、自殺を減らす対策は始まらない。このことをメディアはしっかり報道して、認識を広めてほしい。
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by hoshinotjp | 2009-05-15 23:17 | 社会
 新型インフルエンザ騒ぎで、インフルエンザではないのに診療拒否が相次いでいるというが、当然だろう。これだけ派手に過剰に連日、厚労省とメディアがインフルエンザ禍への恐怖をあおっているのだから、このような過剰反応をしろと誘導しているようなものだ。それで厚労大臣が「医師法違反だ」と目をつり上げるなんて、一種のダブルバインドだ。「過剰反応だ」と指摘する当の政府やメディアが、先頭に立って過剰反応している姿の滑稽。
 そんなことよりも気になるのが、新型ではない季節型の(つまりこの冬に流行っていた)インフルエンザが、いまだに流行り続けていることだ。大関千代大海もかかったし、周辺でも学校などで休む学生が出続けているといった話を聞く。気温が上がると収束するはずのインフルエンザ感染が、温暖化で例年より暑いはずの今年、初夏を迎えようというのに流行り続けているのは、いったいどうしたことか。そして新型インフルエンザも、季節的には流行らないはずの時期に急拡大している。これは何を意味するのだろうか?

 日記表題の写真を変更。近所に咲いていたこの花の名前はわからないが(タチアオイの一種?)、完熟トマトそっくりなので(雄しべがトマトの種に見える)、私は「完熟トマトの花」と呼んでいる。
 追記・私の愛読している『花おりおり』全4巻で調べたところ、アオイ科の「アブチロン」の赤であることが判明。さらに、アブチロンは、非常によく見かける「チロリアンランプ」(ウキツリボクとも)」の仲間であることもわかった。へえ。
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by hoshinotjp | 2009-05-08 13:04 | 社会
 やはりインフルエンザ報道にかなり違和感を抱く。おかしい。どう考えてもおかしい。空港で熱があったからといって、一般の人がまるで犯罪者のように覆われ、写真を撮られて普通の新聞の一面トップに載せられたり、テレビカメラに撮られてテレビで報道されたりするなんて、どうあっても許されることではない。空港で隔離された女性も、横浜の高校生も、新型インフルエンザには感染していなかった。だが、陰性だとはっきりするまでに、メディアはどれだけ当事者や関係者をさらし者にし、危機感と恐怖をあおったことか。これでは北朝鮮のミサイル騒動で「ミサイル発射」を誤認して大騒ぎしたのと、まったく同じじゃないか。この騒ぎを異常だと感じない社会が異常だ。
 どこのニュースを見てもインフルエンザ一色で、頭がおかしくなりそうだ。だが、ペストやエボラ熱などが上陸したわけではないのだ。もう少し普通に報道できないのか。今回は特に、ちまたの人々よりも、報道だけが突出してとち狂っている印象を持つ。今年は報道に失望することが相次ぎ、もはやテレビのニュースはほとんど見ず、購読している東京新聞とオンラインニュースを少し見る程度だが、今は新聞さえ見たくない。血まなこで鼻息荒く「落ち着いて対処してください」とのたまう大臣やキャスターや記者を見たり読んだりしていると、今の社会では正常でいることのほうが難しいとつくづく感じる。
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by hoshinotjp | 2009-05-01 23:07 | 社会
 新型インフルエンザに対する対応だが、拡大局面にあるのだから万全の体制を期するのは必要だとは思う。私も、来るかもしれない鳥インフルエンザ(H5N1型)の大流行に備えた予行演習というぐらいのつもりで、通常のインフルエンザと同じ程度の注意を払おうとは思う。
 にもかかわらず、「あまりにも大騒ぎしすぎだ」という感がぬぐえないのは、メディアの報道の仕方によるものだろう。メキシコ便から降りた乗客たちを、大事故で生還した人たちのように報道陣が取り囲んだり、アメリカからの帰国者で陽性反応の出た人がまるで犯罪者のように全身をすっぽり覆われて別経路で運ばれていく様子が隠し撮りのように撮影されていたりと、常軌を逸しているように感じられる。
 どうもこの社会は今、末法思想に飢えている気がする。黙示録を渇望しているように思える。オウム真理教の信者たちは、麻原彰晃の説くハルマゲドンの実現を信じ、現世は滅びるのだから、その手伝いをするというかきっかけを与えるというか、そういう行為は正しい行いだと見なした。そこには、現世は滅びればよいという、破滅を求める気分があった。けれど、教団外ではそれは異様な姿と映った。
 現在は、日本中が教団内部の世界と化したようである。だから、誰にもそれが異様であることが見えない。でも、それは異様な姿なのだ。破滅が訪れるのを恐怖心でいっぱいになりながら渇望している姿は。誰もが、我を忘れたいのだろう。恐怖が飽和してパニックになって理性を失ってでも、我を忘れたいのだろう。でも本当に必要なのは、なぜ自分が我を忘れたいと思うのか、を突き止めることだろう。さもないと、オウム真理教団と同じことをしてしまう。すなわち、外部を敵と見なして、皆殺しをいとわない攻撃を仕掛けるのだ。
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by hoshinotjp | 2009-04-30 23:04 | 社会
 新型インフルエンザ、かつてメキシコに住んでいた私は、メキシコに友達が何人かいるので若干心配である。それにしても、このような形でメキシコが注目を浴びてしまって、とても残念だ……。
 名称については、昨日までは、感染源はほとんどが豚だと思っていたので、「豚インフルエンザ」という呼び名も、感染源に近づくなというメッセージになるのでやむを得ないと思っていた。けれど、メキシコではどうも公表されている以上の拡大を見せているようで、つまり人から人へどんどん感染している最中とも思われるので、「新型インフルエンザ」のほうがいいような気がしてきた。豚には近づかないほうがいいのだろうけれど、豚肉を食べる分には(生でなければ)大丈夫のはずなので、いたずらに風評被害が広がるのを防ぐためには、「豚」の名を外してもいいと思う。そういう理由で、ヨーロッパでは「新型インフルエンザ」に変えたという。私は今日もチャンプルーを作っておいしく豚をいただいた。
 注意を怠らず、万一に備えることは重要である。けれども、いたずらに不安をあおる傾向がどうも最近の日本社会では強いので、必要以上にメディアに振り回されないことも重要である。流行る前からパニックを起こしてしまったら、本当に流行し始めたとき、逆に悲劇的なことが起こるだろう。
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by hoshinotjp | 2009-04-28 23:32 | 社会
 3月の自殺統計が警察庁より発表された。1月は2658人、2月は2480人と多いのだが、3月は心配されていたとおりさらに急増、3060人だった。
 去年から都道府県別、管轄署別に自殺者の統計が発表されるようになったのだが、全国で去年もっとも多くの自殺者を抱えた警察署は、愛知県の豊田署だという。言うまでもなく、管内にはトヨタがある。
 自殺をとどめるために、本当に有効な対策がとられているのだろうか? 国家は国民から巨額の借金をしてそのカネをばらまくようだが、それは選挙で投票に来られる者たちのためでしかないのではないか? 住民票も定かでない、死の瀬戸際を漂流している者たちには、無縁の話なのではないか?
 フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を、20年ぶりぐらいに読み直した。石田徹也の絵を見たときのような、冷静ではいられなくなる胸の痛みに苦しい思いをした。
 精巧にできたアンドロイドと人間を識別する手がかりはほとんど何もない。ただ一つ、アンドロイドに欠けているのは、感情移入、共感共苦の能力。それを手がかりに、主人公はアンドロイドを探し出していく。しかし、人間であるはずの自分には感情移入の能力はある、と断言できるのか? なかったら、人間とアンドロイドを分ける境界は消える。
 私たちが今生きているのは、まさしくそんな世界である。私たちは共感共苦の能力を欠如させた政府に統治され、感情移入を拒む社会に生きている。
 そうでない社会がありうるのだと手応えを感じないと、人は生きていけない。何度でも言及するが、岡村淳さんのドキュメンタリー映画『あもーる あもれいら2』は、その手応えをもたらしてくれる。東京では、5月4日(月)、新小岩でのメイシネマ祭で上映される。詳しくはこちら
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by hoshinotjp | 2009-04-27 23:56 | 社会
 経済危機のさなかのG7に酩酊して臨み譫妄状態で記者会見に出席した大臣を見てしまった後では、大物タレントが酔って裸で深夜の人気のない公園で誰にからむでもなく一人叫んで逮捕されても、びっくりはしても、唖然とはしない。むしろ、その人を最低呼ばわりする大臣がいることのほうに、唖然とする。彼は、「かんぽの宿」問題で手柄を立てたのに味をしめて、とにかく上から目線で誰かを叱りつけるのが大臣の仕事だと勘違いしているのではないか。さすがにその後、自分の言動が批判を浴びて撤回したようだが。首相と同様のタイプの放言癖を持った政治家である。
 酩酊したタレントは、自分のイメージは傷つけても、行為そのものが他人を傷つけてはいない。何しろ、酔って裸になる男はちまたでありふれており、もっと迷惑な裸酩酊男はたくさんいる。
 それにしても、逮捕はともかく、なぜ家宅捜索までされたのだろう? 酔っただけで家にガサ入れされたら、たまったもんじゃない。職権乱用では? 薬物所持を疑ったのだろうか。だとしても、尿検査では検出されていないのに家宅捜索はやりすぎである。

 あまりにも直前のお知らせになってしまったが、私が去年見て救われた岡村淳さんの「あもーる あもれいら 第2部 勝つ子負ける子」が、明日、下高井戸シネマで行われる「優れたドキュメンタリー映画を観る会」で、午前10時30分より上映される。詳細はこちら。29日にはレイトショーで「40年目のビデオレター アマゾン編」も上映される。いずれも岡村さんのトーク付き。
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by hoshinotjp | 2009-04-24 22:41 | 社会
 痴漢でわいせつ罪に問われていた防衛医大教授が、最高裁で逆転無罪となった判決。納得がいかない。
 無罪判決が出たこと自体は、おかしいとは思わない。冤罪もありえよう。私も満員電車に乗るときは、痴漢と見なされないようとても気を使う。今回のケースでも、この教授が犯人だと思っているわけではないし、有罪にすべきだったとも思わない(犯人であるかどうかは私にはわかりようがない)。
 しかし、報道で読む限りでは、被害者の供述が信用できないとした根拠に、違和感を覚える。すなわち、
1.痴漢の被害があったのに、途中の駅でいったんドアの外に出る機会がありながら、また同じドアから車両に乗り、被告のそばに立った。
2.しつこく痴漢をされても、自ら防御していない。
 これらの理由で、被告の供述は信用できない、という。
 あんまりだという気がする。これだけで痴漢が無罪になるのだったら、「痴漢はされるほうも悪い」という理屈ができあがってしまう。今後、痴漢をした者はずっと否認し続けるだろう。やった者勝ちだからだ。
「満員電車内の痴漢事件は、被害者の供述が唯一の証拠である場合が多く、被告が有効な防御をすることが難しいため、特に慎重な判断が求められる」という判決での指摘は、その通りだと思う。けれども一方で、証拠がないから、供述が弱いから、というだけで泣き寝入りさせられる状況はおかしい。その対策が示されないまま、被害者の被害の事実が放置されるのであれば、不平等だと言うしかない。確かに冤罪で痴漢の犯人にされてしまう被害も時としてあろうが、そのケースよりも圧倒的に、女性が痴漢に遭っている数のほうが多いのだから。
 痴漢は、それをした者が絶対的に悪い。冤罪事件が多発するのは、痴漢が多いからだ。そして、減らすための対策をあまり施していないことが問題なのだ。
 どうも日本は、レイプにしてもDVにしても、女性への性暴力について、親告罪的というか、被害者にそれを被害とするかどうかの判断を委ねるという姿勢が強すぎる。要するに、自己責任論的なやり方だ。「その気があるなら犯罪として扱いますよ、その代わりあなたにもそれなりの覚悟をしてもらいますがね、どうしますか? 私はどちらでもいいんですよ」とでも言いたげな。平等な扱いを言うのであれば、このような不均衡をなくしてからだ。
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by hoshinotjp | 2009-04-14 23:51 | 社会
 なぜ15兆円もの予算を注ぎ込んで景気を刺激する、という政策が必要なのか?
 この予算案の大前提には、経済は成長するものである、という信仰がある。景気の回復とは、経済が緩やかに成長し続ける路線へ戻る、という意味である。そうすれば税収も増えて、借金も少しずつ返せるというわけだ。そして、経済は成長するもの、という考え方のおおもとには、金利という制度がある。
 私はこれがよくわからない。どうして経済は成長し続けなければならないのか? なぜ金を借りたら、元本だけでなく、利子を付けて返さねばならないのか?(現実には日本の銀行預金はゼロに近い金利がずっと維持されてきたのだから、資本主義のルールに反する。が、それは置いといて。)
 経済が成長するとは、どこかよそから何かをつけ足してくることなわけで、地球上のすべての地域が経済成長する、ということは、最終的に地球自体から何かを消費する一方であることを意味する。
 増えすぎた生物は、食物を失い、生態系のバランスを自ら崩し、やがて死滅するか激減する。その法則が人間にどのように働いているのかはわからない。けれども、成長神話を放棄しない限り、破綻はいくつもやってくるだろう。
 少なくとも、先進国である日本は、経済成長をやめてもいいのではないか? 現状を維持するのでいいのではないのか? 成長しない経済の仕組みを本気で考えないと、パイの奪い合いで死滅するほかないのではないか。
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by hoshinotjp | 2009-04-13 22:04 | 社会