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 郵便でまたトラブル。都心から発送された普通郵便は、翌日か遅くとも翌々日はうちに届くのが常なのだが、火曜日に発送された雑誌が土曜日の午後まで届かなかったのだ。私の家だけでも、この一年で、郵便のトラブルが急に増えている。これまで、郵便とは鉄道と並んで日本が誇る最も確実なサービスだと思ってきたが、どちらももはやそういうものではなくなった。その一因が、民営化による極端なコストカットによって現場が苛酷な労働を強いられているためであることは、論を俟たない。
 郵便だけではない。宅配便もおかしい。配達指定された時刻を無視されることが増えているのだ。出版社の編集者がそのように言っていたのだが、言われてみると私の家でも、午後指定の宅配便が午前の早い時間に届いて起こされ不快な思いをすることが最近、増えている。これも、配達員一人に過剰な量の配達物が課された結果、配りきるのが精いっぱいで、配達指定時刻を構っている余裕がないということらしい。一件のために同じ地区にまた来れば、自分の労働時間が無給で延びるだけなのだろう。郵政民営化による競争は、配達員の酷使とサービスの質の低下という形で現れている。
 数年前、知人が引っ越したあと国民年金の払込書が送られてきたら、自分の名前が間違って記述されていたため、地域の社会保険事務所に訂正するよう電話をした。しかし、電話を受けた社保庁の職員は、「間違っているなんてことはありえません」と取り合わなかった。次に送られてきた払込書の名前は、やはり間違ったままだった。それでもう一度電話して強く抗議して、ようやく訂正された。じつはあれは組織そのものの体質で、背後には今の年金問題が広がっていたわけだ。郵政公社でも、現場はひどいことになっているのではないかと想像する。
 だが、わずか2年前の「郵政民営化解散」時にあれほどの「大ブーム」を引き起こしたにもかかわらず、現在の郵便事情をルポルタージュするメディアは見たことがない。むろん、一般人でそれを注視している人などほとんどいない。本当なら「小泉首相」に投票した人や、その宣伝に手を貸したメディアにはそれを見守る責任があると思う。
 国会が内閣によって私物化されている一方(久間防衛大臣の失言をまるで問題ないかのごとくかばう安倍首相の態度は、親から受け継いだ企業を守るオーナー社長のそれとそっくりである)で、選挙は投票者が日ごろの鬱憤を晴らすだけの場と成り果てている。
 久間大臣が治める防衛省は、米軍基地建設のために沖縄に掃海母艦を派遣して地元住民を排除したり、自衛隊が政府の命令系統とは別に独自で自分の組織に批判的な人たちを調査したり、要するに自国民を敵視することを公然と始めている。上記2例も、米軍基地建設とイラク戦争というアメリカの利益のためだ。そして今度の発言も、アメリカの利益という観点から、原爆投下もやむをえないと言ったわけだ。言うまでもなく、安倍首相が押しきろうとしている、憲法解釈による集団的自衛権の行使や憲法改正も、軍隊をアメリカの指揮系統化で戦えるようにするという、アメリカの意に沿った政策だ。「自主憲法」制定ではなく、アメリカの意を受けて新しくする憲法でしかない。(そしてそのアメリカは、拉致問題をあっさり見捨てたように、自国の利益次第では日本などどうとでも裏切るだろう。)
 久間大臣の発言は、そういう背景が前面に出た失言だったと思う。
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by hoshinotjp | 2007-06-30 23:59 | 政治
 映画史において必見の一本、これ見ずしてキューバを語るなかれという不朽の名作『低開発の記憶~メモリアス』が、好評につき上映延長となりました。渋谷のユーロスペースにて夜9時からのレイトショーが7月20日(金)まで続くのに加え、明日6月30日(土)から2週間、7月13日(金)までは、午前10時15分からのモーニングショーも行われます。夜に都合がつけにくい方はこの機会にぜひ。また、名古屋や大阪、那覇など東京以外の都市でもこれから公開されます。詳しくは公式サイトをご覧ください。
 何しろ、今をときめくガエル・ガルシア=ベルナルやベニチオ・デル・トロら、ラテンアメリカの演技派たちが人生で忘れがたい映画として推薦している作品です。見逃したら損をしますぜ。
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by hoshinotjp | 2007-06-29 13:55 | 映画
 国会って必要なのだろうか?と思う最近。特に選挙前の国会はひどい。与党は、ともかく口当たりがよいアピール度の高い政策を強行採決の連発で決めたあげく、自分の都合で投票日を1週間遅らせてしまった。1週間送らせるだけでいったいいくらの損失になったのか、大手メディアで試算しているところはないのだろうか。定率減税を半分にしたことで増税が行われたわけだが、その税収の何パーセントか(あるいは税源移譲で増えた地方税の何パーセントか)は選挙日の先送りによって無駄に消えるわけだ。
 一方の野党も、選挙を睨んで、「反対路線で行きます」と決めているので、内容がどうであれ反対するだけ。
 けれど、そうやって選挙目当てに反対され強行採決された政策は、選挙が終わって有権者が注視しなくなっても、私たちの生活に影響を及ぼし続ける。こんないい加減に決められて、ツケを払うのは有権者である。
 国会議員が選挙次第で豹変するのは何度も見てきたし、カネに汚いのも昔からだが、政策についてこれほど無責任な時代はなかったのではないか。特に今の内閣を見ていると、国家は自分が世襲して手にしている私物だという感覚しかないように思える。つまり、政治家に「公共心」がないのだ。
 例えば、岩屋毅外務副大臣のブログが問題になっている。民法の規定により離婚前後に生んだ子どもが戸籍を持たないまま放置されている問題で、とある母娘について、誹謗中傷とも言える事実誤認を書いているというのだ(記事はこちら)。国家権力を持った人間が、その責任を負うべき国民をこのように扱うのは、幼児虐待に等しい。権力と責任ということについてこのように無自覚な人間が、今の政府や国会にはごろごろしている。なぜ無自覚なのかといえば、自分の立場を私物化するメンタリティが常にあること、そして社会性を欠いていることだろう。
 自由化の中で起こっていることは、すべてがカネ勘定に還元されるということだけではなく、すべてが私物化されていくということだろう。そして、私物化したものは自分のものなのだから好きにしていいのだという感覚。この風潮を強力に推し進めているのは、道徳や公共心を叩き込もうとしている現内閣である。かれらのいう道徳や公共の意味を間違って捉えてはならない。
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by hoshinotjp | 2007-06-26 16:06 | 政治
 社会保険庁職員を非公務員化し、民間に業務を委託するような案を自民党は検討しているようだが、このようなことが実現しそうになったら、有権者はよく考えたほうがいい。大きな詐欺に引っ掛かろうとしているのだから。
 耐震偽造がなぜ行われたのか? JR福知山線の事故はなぜ起こったのか? なぜコムスンの問題が起こったのか? いずれも民営化の負の部分が作り出した事件事故である。経済的な効率のために、安全を無視した結果である。民営化とは、経済的な効率を求めるために行われる。民間への業務委託も同じことだ。営利団体ではない社会保険庁を同じようにして、今の問題が解決するはずがない。
 それでも政府与党が民営化したいのは、今後、政府にとって最大の重荷となる機関を政府から切り離すことで、1カネの負担を減らす、2トラブルが起こっても直接責任を取らなくていいようにする、という目的を実現させたいからだろう。住民に対して信頼を取り戻すことが急務であるときに、裏切りを画策しているようなものだ。ついでに、住民個々人の情報を一括して管理する背番号制へも結びつけようとしている。この薄汚い抜け目のなさは、チンピラ以下ではないか。
 なぜわれわれは自分たちを不幸にするばかりの政府を持っているのだろう。この5、6年で、自分が幸福になったと感じる人たちは、はたしてどれだけいるのだろうか? 自分がまともに生きているのに少しも幸福にならないのであれば、それは社会のシステムにも責任の一端があると考えていいのではないか?
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by hoshinotjp | 2007-06-20 18:18 | 社会
 このexciteブログ、どうやら連日深夜2時ちょうどになると、まったく動かなくなるようです。サーバーへの攻撃があるという指摘もありますが、原因の説明はないのではっきりしません。4時ごろになると元に戻ります。その時間帯に閲覧していただいている方には不便を強いて申し訳ありません。
 もうしばらく様子を見ますが、現状が続くようであれば他のブログへ移転したいと思います。
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by hoshinotjp | 2007-06-18 09:37 | 身辺雑記
 このブログの調子がここ数日、大変おかしい。緊急のメンテナンスが終わったら、かえってひどくなった。やはりもっと安定している他のブログを利用したほうがいいのだろうかと思って探しているうち、夜が明けてしまった……
 無料で、広告なしで、テンプレートが充実していてカスタマイズが細かくできて、本文にリンクがつかなくて、ブログならではの機能は普通に装備しているところって、ないのだろうか。開設するときもその基準で選んだのだけど、ここしかなかった。
 でも引っ越しするとなるとまた大ごとだし、webは本当に時間を吸いとられる。
 gooが独自ドメイン対応を目指しているそうなので、それが実現したら移るかもしれない。
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by hoshinotjp | 2007-06-15 06:03 | 身辺雑記
 介護サービスのゆがんだ実態よりも、そのトップである折口会長の素行ばかりが世の注目を浴びている感のある、コムスン事件。折口会長が率いている親会社グッドウィル・グループがなぜそんなにカネがあるかというと、人材派遣業で大儲けしてきたからである。やっていることは人身売買と言うに等しい行為なので、人身賃貸業と呼びたいほどだ。そんな呼び名がふさわしいと感じてしまうような非道な商売がなぜ成り立つのかといえば、それが法に反していないからだ。
 バブル経済崩壊後の廃墟から立ち直るため、経済界は徹底して人件費を抑えることを打ちだし、政治も歩調をそろえた。そのときに法に引っ掛からず責任を曖昧にする仕組みとして、仲介業者つまり人身を貸し出すブローカーが必要とされたのである。できるだけ安い労働力を提供してくれるブローカーは、経済界からも政界からも歓迎された。そうやって金と力を伸ばしてきたブローカーたちの一人が、グッドウィル・グループだ。だから経団連でも幹部を務め、厚生労働省からもコムスンは当初厚遇された。
 人を徹底して安く使うこのノウハウは、コムスンの介護業でも活かされ、その結果トラブルが続出して、介護の体をなさない事態に至ったわけだ。つまり、顧客以上に、社員からカネを吸い上げて儲けた会社ということになる。
 と、このようなことが、今の私なら、事件の背後から読みとることができる。だが、少し前の私だったらわからなかった。なぜかというと、「ワーキングプア」という問題がどういうことなのか、本当には理解していなかったからだ。少し前にこのブログにも書いたが、4月の統一地方選挙で、自分の教え子であるあおと功英氏がこの問題への怒りから杉並区議選挙に立候補したときに、初めて実感を持って「ワーキングプア」の現実を知ることになったのだ。
 以来、少しずつではあるが、この問題を知る努力をしている。
 先週も、「フリーターの「希望」は戦争か」という討論を聞きに言った。これは、「フリーターズフリー」という書籍(雑誌?)が創刊された、記念イベントだった。「フリーターズフリー 」は、ワーキングプアの当事者であるフリーターたちが、働くこと全般を根本から考えた論考を集めたものであると同時に、フリーターにこの書籍作りに関わってもらうことで雇用を作り出そうともする試みであるようだ。詳しくはサイトを見てほしい。
 この書籍を読み、イベントでの議論を聞き、その他いろいろな書物を読みながら、今痛切に感じていることは、私もこの問題を見てこなかった、というとても苦い意識だ。マイナーな存在を生み出すのは、「世間」からの無視である。その無視に私は荷担していた、と今思い知らされてショックを受けているわけである。だから、この問題を現実にどう変えていけるのかを考える一方で、なぜ自分はこの問題を素通りできたのか、ということをいつも自問することになる。バブル世代でありながらあの時代が本当に嫌で嫌で仕方なかったために、宮崎勤事件もオウム真理教の事件も酒鬼薔薇事件も自分の問題として実感を持って受けとめたのに、なぜバブル経済最大のツケを払わされているワーキングプアに対しては実感を持って考えることができなかったのか。答えはいくつも浮かぶが、まだ本当には突きつめきれていない。
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by hoshinotjp | 2007-06-14 22:01 | 社会
 今年はアジサイの当たり年とでも言おうか、とてもきれいに咲いている。暖冬が影響したのだろうか。一斉に大きな玉へと成長し、雨も適度に降っているので、色の変化も大気の澄んでいるときの宵の口の空のような美しいグラデーションを堪能できる。私は濃い水色が好きだとわかった。
 このエキサイトブログが不具合を起こしているようだ。木曜日にメンテナンスがあるとか。ブログを信用できないのはこういうときだ。自分でhtmlファイルを作って書いているほうが、やはり安心する。しかし、検索機能などでこちらのほうが読み手には便利かと思い、ブログ形式を続けているのだが、いまだに慣れない。

 来月7月には、拙著『毒身温泉』が文庫化される(講談社文庫)。文庫化に当たって、タイトルを『毒身』と変更することにした。また、収録作のうちメインの作品である「毒身温泉」(こちらのタイトルはそのまま)を、大幅に書き換えた。単行本で買って読んでくれた方には申し訳ないが、この作品は仕上がりにいまひとつ納得がいっておらず、今回、文庫用のゲラを読み直して、やはり書き直すことにしたのだ。テーマや出来事や人物、構成など、基本的な要素はいじっていないが、細かな描写や会話を半分以上、作り直した。だいぶ読みやすくなったし、緊密になったし、人物造形もしっかりしたし、奥行きも出たと思う(自慢)。5年以上かかって、ようやく完成した気分である。
 5年前は、あの仕上がりがやっとだった。もっとどうにかできるはずだと思いながら、どうしてよいのかわからなかった。5年もたつと、どうすればよいかがはっきりわかる。
 過去の作品に手を入れることは、本当は不可能なのかもしれない。そのときの自分にしか書けない要素を、必ず含んでいるからだ。なので、これまでの文庫化のときも、うーんどうにも稚拙だと思っても、字句の修正程度にとどめておいた。手を入れ始めたら、結局は今の自分が書いた新しい作品になってしまうからだ。だったら、一から新しい作品を書いたほうがいい。
 けれど、今回は大きく手を入れても、もとの作品はきちんと残っている。だから書き直そうと思ったのである。珍しいケースだと思う。
 装画は、岩清水さやかさんにお願いした。4年ほど前に「ギャラリーeシエスタ」で「星野賞」なるイベント行ったとき、「毒身温泉」を素材にイラストを描いてくださって、金賞になったのだ。その絵を装幀用にアレンジして、文庫のカヴァーになる。私が「毒身温泉」を書いているときに頭の中で浮かべていたイメージと非常に近く、それをさらに膨らませてくれたようなイラストだ。できあがるのが楽しみ。
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by hoshinotjp | 2007-06-12 23:00
 しつこくサッカー。なぜサッカーのことばかり書いているかというと、近々、新潮社から刊行されるオシム監督の語りおろし本の書評を書いていて、オシムサッカーについて考え続けているからだ。いやー、面白いですよ、このオシム本は。
 昨日のコロンビア戦について、オシム監督はなぜ「カミカゼシステム」という言葉を使ったのか? これはアイロニーだろうか? まともに受け取るのではなく、その意味を考えることが求められているように思う。通訳の千田さんは、テレビのインタビューのとき、この言葉を訳さなかった。たぶん、さまざまな意味が含まれているため、そのまま使うべきか、意訳するべきか迷い、後者にしたのだろう。
 リスクの大きいシステムをあえて採用した、とも取れる。が、あえてリスクの大きい超攻撃的布陣を敷いてみたが、リスクばかりが実現してそれに見合う成果をいまひとつ得られなかったため、「これではただ自爆しているようなものだ」という意味で、「カミカゼ」という言葉を使った、とも思える。つまり、選手や観客に対し、あの布陣で「ただの自爆」にはならないためにどうすればいいか考えよう、と促しているのだ、とも受け取れるわけだ。
 ワントップで、中村俊輔、遠藤、稲本をその後ろに並べる布陣は、驚きではあったかもしれないが、オシムのこれまでの言葉を考えると予測されてしかるべきだったとも言える。中盤での攻防となるコロンビア相手に、高い位置でボールを奪って展開したい、ということもあったかもしれないが、もっと教育的な意味があったように私には思える。
 右サイドでスタートした中村俊輔は、どうしても左に行きがちで、そうすると遠藤が右に回ることになる。オシムサッカーでは、状況次第でそのような臨機応変さはOKのはずであるのに、二人はあわててもとのポジションに戻っていた。オシムが戻れとしつこく言ったからだ。つまり、得意ではない側でプレーさせようとしていたのだ。後ろのサイドバックとの連携もあったかもしれない。遠藤、中村は下がるな、という指示も出していたからだ。
 総合して考えると、この3人には、パスの出し手としてだけでなく、もっとフォワード的な、直接相手にゴールの脅威を与えられる選手になってほしい、ということではないか。カカーが今年のミランで、トップ下からフォワード的な選手へと変貌して、チャンピオンズリーグで得点王になったように。じかに相手を殺す殺し屋となってほしいのではないか。かれらが中盤の起点にもなれ、ゴールも決められる選手となったら、相手はものすごく疲れる。さらにそこに、サイドバックや憲剛などが現れてゴールを狙う。
 フォワードも守備をしなくてはいけないことは理解が浸透してきたが、中盤の選手もフォワードとならなくてはいけない、ということに手をつけようとしているのではないか。将来の臨機応変を実現するために、昨日の前半は制限をつけてリスクを冒したのだと、私は見た。
 少しずつだが、日本の得点力不足を具体的に解消しようとする方向が見えてきた気がする。

 ゴルフの「ハニカミ王子」目当てにTBSが下品でえげつない取材を重ね、批判を浴びている。たまたま非難されているが、そのメンタリティ自体はどのテレビ局も共有している、いわばテレビ業界の常識みたいなものだろう。長年かけて醸成された常識だから、いくら批判されても変わることがない。
 この体質が、国家の介入を招き報道を管理する口実になっていることに、視聴者の側が意識的になる必要がある。ハナから倫理では動いていないテレビ業界は、一般住民の知る権利、表現する権利を濫用し、総務省に叩き売りしているところがある。視聴者の財産を勝手に奪って横流ししているわけである。視聴者はそのことをもっと考えるべきだ。
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 サッカーの話が続くが、キリンカップ、日本対コロンビア戦を埼玉スタジアムに見に行く。お金と時間を使った甲斐のある、満足度の高い試合だった。
 スタジアムで初めて見たオシムジャパン、テレビでは見えない部分をいろいろ見ることができた。
 オシムは、誰が中心かという考え方を無効にするサッカー(つまり中心がたくさんどこにでもあるサッカー)を目指しており、今日はそれが実現されつつあったと思う。守備でも攻撃でも、起点がたくさんあった。
 とはいえ、今のところ、このチームのアウトラインを支えているのは、阿部、鈴木啓太、遠藤、中村憲剛という印象。要するに現段階でのオシムのサッカーを最もよく理解している者たち、ということになるだろう。阿部は常に細かく指示を出していて、システムを自在に変える頭脳となっていることがよくわかった。啓太は、上がれるチャンスと見たら役割に関係なくチャンスに近い者なら誰がどこへでも上がっていいのだという手本を、まだオシムサッカーになじんでいない者たちに見せているかのようであった。
 稲本は存在が消えていた。中田浩二も様子伺いといった感じの腰の引け方だった。中村俊輔はペルー戦に比べ、格段に溶け込んでいた。このサッカーを体に仕込むには時間が必要なのだろう。
 プレーが切れたときは、啓太、阿部、中村俊輔と憲剛を中心に、多くの選手が話し合っていた。気合いを入れているのではなく、頭を使ってサッカーをしているということだ。
 今日、特筆すべき存在は、やはり羽生と高原だろう。日ごろから90分をとてつもない運動量で動き、オシムサッカーの基本である連動を引き出す羽生は、45分となったら普段のさらに倍ぐらいの密度で動き続けていた。山岸にしても巻にしても、ジェフの選手はやはりいい手本になる。
 高原には本当に驚いた。モンテネグロ戦でも格の違いを感じたが、ナマで見るともっと素晴らしかった。体の強さ、ボールのないところでの動きの質の高さ(必要なときには必ず下がってもらい、もらったらどんなプレッシャーを受けても絶対にボールを失わずに誰かにはたく。それでゴール前に必要なときには必ず最前線に来ている。本当によく走り、無駄な走りがない)、キックの正確さ、メンタル面で互角に渡りあうしたたかさ、そしてわずか3試合でオシムサッカーを実現するためには欠かせない存在となったその適応力。中田英寿以来、初めて「ヨーロッパで普通にプレーしている選手」を感じた。オシムジャパンでは、海外組国内組という分け方は、能力の問題ではなく単に地理的時間的に招集できるか否かを判断する基準でしかないと私は思っているが、高原にだけは「海外組」という言葉を能力への評価として使いたい。
 今さらだが、このオシムのサッカーとチームを見ていると、中田英寿がこの監督とチームに巡り会えていたら、と何度も思ってしまう。
 コロンビアは、日本に個人技と体の強さを加えたようなチームだと思った。基本的には、労を惜しまずプレスをかけて奪ったら少ないタッチで人もボールも動いて崩していく。ラテンアメリカのチームとしては、エゴイスティックに一人で打開しようとすることが少ない。昔からコロンビアはパスの好きなチームで、ときにはパスしかなかったりしたが、バルデラマのようなスターがもはやいない分、日本のサッカーのように全体の動きを重視する方向へと変わっているのかもしれない。
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