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 浦和―ガンバ戦を見ている途中だが、前半終了間際、またしても誤審による得点。浦和ボールのスローインを、ガンバボールと判定してのことだ。先週は、川崎―浦和戦で、川崎のすばらしい攻撃による得点が、不可解なオフサイド判定で取り消し。
 どうも今シーズンのJリーグは、誤審がはなはだしい。そもそも、シーズン幕開けのスーパーカップ鹿島―広島戦がそれを予告するように、わけのわからない判定でPKが何度もやり直しになり、広島が勝った。以降、素人目にも明らかである誤審が相次いでいる。しかもその誤審によって試合が決まることが多い。審判が選手に暴言を吐いたという疑惑など、審判がおごり高ぶっていると思われる事態も起こっている。
 観戦していて、どうにもバカバカしくなる。真剣に見ている自分が、愚かに思えてくる。毎節のようにこんなアホらしい誤審で大一番の勝負が付いてしまうなら、Jリーグなど見ないほうがマシだ。
 大相撲は、大鵬の連勝記録が誤審によって途絶えたとき、ビデオが補助として導入された。テニスも機械が導入されている。それらはあくまでも補助で、決断を下すのは審判である。サッカーは「誤審はつきもの、それもサッカー」との理由でいまだにかたくなに拒み続けているが、もうここまで来ると観客を愚弄しているとしか思えない。もはや限界に来ているのではないか。

追記
 試合終了後、浦和とガンバの選手の間で小競り合いが起こり、続いてサポーター間で乱闘騒ぎが起こった。
 直接的には当事者それぞれが責めを負うべきとはいえ、揉め事を引き起こした根本的な原因は、やはり誤審にあったと思う。誤審がなくガンバが勝利したのであれば、ここまで不満が爆発することはなかっただろうし、浦和も敗北を耐えるべきだった。誤審によって決したこの結果を、勝負の結果として呑み込めないがゆえに、こんなことになったのだろう。
 Jリーグのジャッジがこんなレベルである限り、試合をめぐる環境は悪化していくだろう。改善の志が示されない限り、私はJリーグの試合を観るのをやめる。
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 このところの報道で耐えがたいと感じるのは、硫化水素自殺である。この問題がクローズアップされてから、硫化水素で自殺をすると報道されるため、新聞紙面には自殺の記事が急増した。
 日本では自殺者が年間3万人を越し、それがすでに10年も続いている。年間3万人とは、単純計算で1日80人である。40人のクラス2つぶんの人が、毎日自ら死んでいく。けれど、何か目立つ事由(いじめだとか著名人だとか)でないかぎり、自殺は報道されない。だから、身近な人が自死しないかぎり、毎日80人もが死んでいくという実感を得ることもない。
 それが、この「硫化水素」問題により、逐一報道されるようになった。そのとたん、新聞の社会面は自殺に覆われることとなったのだ。
 私はこの、無関係な人たちが何人も同じ1日に自死していく、という実感に打ちのめされている。現実には、硫化水素以外で死ぬ人がさらに何倍もいるのである。そのすべてが報道され、紙面の何ページにもわたってその記事が羅列されている様子を思い浮かべてほしい。1日に80もの自殺記事を読むことを想像してほしい。しかもそれが毎日、途切れることなく延々と10年以上続くのである。それは、耐えがたいとか気が滅入るといった生やさしい言葉で表現できるような事態ではない。こんな常態にさらされて正常な心を保てる人間はいない。日々の根本的な感覚や常識が変わるだろう。自死していない自分を不安に感じ、風邪薬を飲むかのように死のうとすることになるだろう。
 それが今の現実の、正確な姿なのである。そのような社会に、私たちは生きている。ただ、自殺が目に見えないから、自分とは隔てられた出来事のように感じるだけだ。本当は、自死はすぐ隣にいて、誰にでも声を掛けようとしている。
 毎日80人を自死に追い込む社会は、一見そう見えなくても、怖ろしくゆがんでいる。チベットやビルマやウイグルとは違う形にせよ、無形の、得体の知れない強権に抑圧されている。その「強権」とは、いったい何なのか? それを直視しないと、自殺は減らない。
 硫化水素自殺が急増する中、まずはこの方法での自殺を阻止する当面の措置が必要なのはいうまでもない。でも、問題の要は、「硫化水素」にあるのではなく、「自殺」にあるのだ。だが、報道を始め、この話題をめぐる言説は、「硫化水素」ばかり見て、自殺で死んだ者の具体性をカッコに入れてしまっている。死ぬ人をとりあえず脇に置いて、目を逸らしている。そしてそのまま放置している。死人など存在しないかのように。
 私はこのことに強い違和感を覚える。それが自殺社会を作り出している「強権」ではないのか、と問いたくなる。耐えがたいのは、そのことだ。
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by hoshinotjp | 2008-05-11 11:09 | 社会
 少し前、北京オリンピックの聖火リレーが各国で行われ、大勢の中国人留学生たちが集結し、「愛国」を掲げて「チベットは国内問題」と大合唱する異様な姿を見ながら、私が感じたのは、「愛国教育」の怖ろしさである。中国以外のどんな立場から見ても、チベットは植民地化されていると言ってよい。にもかかわらず、外部からのまっとうな批判に対して、漢民族の学生を中心とする若者たちが、まったくやましさを覚えずに自己正当するスローガンを叫び、外国の報道のほうが偏っていると断言し不買運動ができるのは、「国を愛する心」を教育を通じて叩き込まれた世代だからこそだろう。
 この光景は、強烈な愛国教育が実施されていた戦前の日本とそっくり重なる。朝鮮を併合し、満州を植民地としながら、諸外国から批判されると、日本の世論は「おかしいのは外国のほうだ」と沸騰した。国際連盟からの脱退をやってのけた松岡洋右は、英雄視された。自分たちは満州や朝鮮に利益をもたらしてやっている、と主張した。これは今、中国がチベットについて行っている主張とそっくりである。
 中国政府や漢民族の人たちのこういった態度に違和感を覚えるのであれば、日本で今、少しずつ広がっている「愛国教育」についてもよく考えたほうがいい。日本でもこのまま愛国教育が強化されていけば、こんな自己中心的で醜くおぞましい姿をさらすことになるだろう。そしてそれが自滅をもたらすことは、歴史を振り返ればよくわかることだ。
 むろん、日本でもそうだったように、中国にもこの風潮を批判的に捉えている人たちはたくさんいて、ちらりほらりと声は聞こえてくる。そのことを見失わないようにしたい。
 それにしても、この時期に何ごともないかのように胡錦涛主席と首脳会談をしている福田首相は、彼の持ち味の事なかれ主義、他人事主義の真価を最大限に発揮している。事なかれだから卓球もしないそうだ。首脳会談は拒むよりしたほうがいい。それでもっとなまなましく駆け引きをするべきなのだ。でも何もしているようには感じられない。それをしなければ国益が損なわれるわけでもないのに靖国を参拝して国交が滞るのもおかしいが、チベットでの弾圧事件が国交に何の差し障りももたらさないというのも、とてもおかしい。

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by hoshinotjp | 2008-05-08 22:49 | 政治
 去年、日経新聞に書いたエッセイ「ファンタジーの街」が、某大学の今年の入試問題に使われたと通知があり、問題文も送られてきた(大学名を隠していけないことはないのだろうけど、何となく隠す)。
 自分の文章が大学入試問題に使われるのはこれで2度目。作者でも解けないといって軽蔑する人もいるようだが、私にとってはけっこう楽しい経験だ。初めて使われたときには、私の意思が伝わるような問題が並んでいて感動したし、今回は問題作りにセンスのいい愛嬌があって、とても愉快だった。
 大学の先生にも、入試問題作りが得意な人、不得手な人がいるわけだが、私の文章は得意な人の手にかかったのかもしれない。
 大学での入試問題に使われるのは、著作権の侵害にはならないことになっているから無料だし、事前の通知はないのだが(入試問題という性質上、通知はしないか)、これが過去問として赤本などに収録されると、とたんに著作権料が発生する。数年前まではこれもタダだったが、過去問の出版社が人の文章に一銭も払わず利益をまるまる自分の懐に入れるのはおかしいと問題になり、現在のようになった。しかし、この手の著作権の管理にはいろいろな問題が派生していて、とてもややこしい事態になっている。私自身は、どう考えていいのか、まだわからないでいる。
 ただ、著作権の期限を、現行の、著者の死後50年から、死後70年へと延ばすことには反対である。それがグローバリゼーションの一環であることを、著作権者は自覚したほうがいい。
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by hoshinotjp | 2008-05-07 23:39 | 身辺雑記