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  ◆植物の中に溶け込んだ人生◆
 ブラジル移民の植物学者である橋本悟郎先生が、八月二十六日に、九十五歳の生涯を閉じられた。
 牧野富太郎にも匹敵する業績を残した橋本先生を私が知ったのは、同じくブラジル移民の映像記録作家、岡村淳さんのドキュメンタリー作品を通じて。以来、徹底して権威を嫌うその姿勢に、深い尊敬と親しみの念を抱いている。
 最初に衝撃を受けたのは、十年ほど前、橋本悟郎シリーズ第一作『花を求めて六十年』を見たとき。一九六七年にブラジルを訪問した今上天皇(当時は皇太子)を案内したときの様子を、橋本先生が回想する場面だった。
「向こうもよく質問するわけだ。黙っとらんですよ、そうとう鋭い知識があるからね」
 戦前にブラジルへ移民した世代は、天皇という存在には特殊な威光を感じるのが常なのに、橋本先生ときたら、まるでライバル研究者への好意を語るかのようではないか!
 橋本先生は、二十一歳だった一九三四年に、夢だったブラジル渡航を果たした。同時にそれは、徴兵されるだろう運命を拒み、「植物の中に自分も溶け込んだような生活」を目指すという、軍国主義日本への、痛烈な意思表示でもあった。
 戦争を拒んで植物研究に没頭した橋本先生。戦争の合間に博物学研究に勤しんでいた昭和天皇。私には、橋本先生の生きた軌跡が、ありえたかもしれない、戦争をしなかったもう一つの日本の姿にも見えてくるのである。
 現在、岡村さんは来日中。他の橋本先生シリーズなど、各地で上映会が行われている。
(東京新聞 2008年9月12日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-09-28 23:24 | 身辺雑記
 党内からも苛烈な非難を浴び、辞任する肚が決まった中山文科相は、開き直って日教組への罵倒を述べ立てたが、国土交通省の抱える課題については、形式的に道路問題に触れた以外は、ついぞ言及されなかった。国交省の行政など、まったく眼中になかったらしい。国交大臣として、日教組をぶっつぶそうとしたのか? 管轄違いでは? 
 そんな人物をお門違いの大臣に据えること自体、有権者をナメている。場違いな大臣のいる省庁は、官僚のしたい放題であり、その結果、国民のためではなく官庁自身のための行政をして狂っていくさまは、ついひと月ほど前、農水省と太田誠一大臣との態度で見たばかりではないか。中山大臣が居座っていたら、同じような事態が起こっただろう。
 これを繰り返して、自民党政権は官僚天国を放置し、社会保険庁のようなあきれた事態を見逃してきた。官僚と「いい関係」を築きたがっている麻生内閣は、昔の自民党のような、官僚の裁量を認める政治を復活させようということだ。
 この内閣には、中山大臣のような場違いの大臣が、他にもたくさんいる。有権者の生活を改善することを優先した内閣だとは、とても思えない。この内閣には、官僚をコントロールする気など本当はないのだ。少なくとも、閣僚の人選を見る限り、首相のそのようなメッセージが伝わってくる。
 小泉元首相が引退し、息子を後継者指名したことに、「普通の親だった」と失望の声がたくさん上がっているが、息子を後継候補に立てると「普通の親」だ感じるという感覚が私には信じられない。そんな「普通」でも何でもないことを、「普通」と言ってしまう社会だから、政界始め、どこへ行っても二世三世があふれる社会となっているのだ。小泉首相自身が議員一族の3世である。彼にとって、「自民党」と「小泉家」は神聖冒さざる聖域だ。「自民党をぶっ壊す」といっていたのは、本当は「経世会(田中派)をぶっ壊す」であり、何よりも大切なのは「自民党」の存続と「郵政民営化」だ。特権階級としての自民党代議士世襲権を放棄するつもりなど、さらさらないことは、前回の選挙でわかっていたはずだ。
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by hoshinotjp | 2008-09-27 23:48 | 政治
 納豆に続いて、今度はバナナだそうだ。ダイエットできる食べ物として客が殺到、品切れの店もあるという。森公美子が朝バナナダイエットでこんなに痩せた、バナナならまるで苦痛にならないというその番組を、チャンネルを替えているときに私もたまたま目にした。翌日スーパーで、すっからかんになったバナナ売り場を目にして、あきれる。
 人々がこうだから、政治に騙されるんじゃないのか? 苦い記憶だとか、失敗したときの教訓だとか、そういう安全装置がなぜ働かないのか。政権を放り出す首相が二回続いているのと、このような消費行動を繰り返す「庶民」とが、私にはダブって見える。
 一度の失敗は仕方がない。許容されるべきだろう。けれど、二度、三度と繰り返すのであれば、これは当人に問題がある。オシムもそう語っていた。
 麻生首相およびその内閣の閣僚がこれまでしてきたこと、態度、姿勢を思い出せば、誰のために政治をしているのか、一目瞭然だと思う。世襲の貴族仲間を重視するあまり、何でもいいから大臣になってもらったりしているのだ。鳩山邦夫議員は、法務大臣を断った結果、なぜだか総務大臣に就任した。そして、増田前大臣との引き継ぎで平然と、「自分はこの分野は素人だ」と放言した。そういった人が官僚を「使える」と思うのか? 生活に苦しむ人の観点で政治を行うと思うのか? 景気対策のために金をばらまいてやると言われれば、有権者はそれで気が済むのか?
 中山国交相も暴言を連発。この人はどの省庁のトップになっても、その役所の本当に大切な政策課題よりも、「市民派つぶし」しか頭にないらしい。成田空港の反対住民に対しては「ゴネ得」「公のためには自分を犠牲にする公共精神がないせいだ」。これでは、北京五輪のために住民の家屋を強制的につぶしまくった中国政府のメンタリティと変わらない。「公」とは、住民ではなく、「国家」「政府」だと思っているらしい。「オカミの決めたことにごちゃごちゃ文句を言う戦後教育はけしからん」ということのようだ。大分県教委の不正問題も、「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力が低い」などと述べているが、私は、「自民党の子どもは成績が悪くても政治家になる。だから自民党の能力は低い」と言いたい。
 これほど、自分たちの権益のことしか頭にない面々がそろった内閣なのに、各種の世論調査では支持率が5割近く。有権者は自ら、騙されに行っているとしか思えない。
 強大な権力を委ねる相手なんだから、もうちょっときちんと人物調査をしてから、支持・不支持を決めてほしいものだ。さもないと、有権者はいいカモの群れになる。

 その後、中山大臣は陳謝。しかしあの発言内容からして、国土交通省のトップとして行政を取り仕切る立場にないことは明らかだ。国土交通省の仕事を何も知らないのだから。つまり、まったく適さない人材を、首相が自分の仲間だからという理由で置いているような内閣なのだ。これがかれらの言う「国民目線」か。
 もう一点、「誤解を招くような言い方」と言うが、誰も「誤解」などしていないし、しようがない。あれは中山大臣の率直な考え方なのだから。本当に思ったことを口にしているだけなのだから。あの発言が社会で問題視されるなら、社会で問題視される不適切な考えを持つ人物が大臣になっている、ということだ。そういう内閣を、私たちは受け入れていいのだろうか?
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by hoshinotjp | 2008-09-26 11:16 | 政治
 麻生内閣発足。顔ぶれを見て、「なんだ、『総理大臣ごっこ』か」と思った。お坊ちゃんたちが「俺、総理大臣だぜ。おまえ、財務大臣ね。本物だよ、本物」などと、はしゃいでいるのだ。「世間知らず内閣」とでも名づけようか。どうせなら、親友の安倍晋三議員も仲間に入れてあげればよかったのに。農水大臣かなんかで。
 今、日本で最も世の事情がわかっていない人を集めたら、この内閣ができるのではないか。どうせ世間なんかわからなくても、何も困らない人たち。
 各省庁の官僚たちは、ほっとしただろう。一部を除き、官僚のやることにとても理解のある大臣たちばかりで。仲よく「使って」欲しいと、安堵していることだろう。
 それにしても、福田前首相が辞意を表明したときから、こうなることは自民党内でほぼ決まっていたシナリオだったのに、「さあ、結果はどうなるんでしょう? 請うご期待」とばかりに、連日欠かさず総裁選を報道してきた報道機関は、何を考えているのだろう? 言論の自由を自分で放棄しているとしか思えない。出来レースの選挙(しかも単なる一団体の組織内部の選挙)を毎日こと細かに見せられ、その紙面・番組にお金を払うなんて、じつに馬鹿馬鹿しかった。シナリオどおりなんだから、結果だけの報道で充分ではなかったのか?
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by hoshinotjp | 2008-09-24 23:08 | 政治
  ◆無名の埋蔵金◆
 夏休みにチェコを旅行した。いたるところに中世の面影が残る土地なのだが、中でもターボルという小さな町では、その歴史にめまいのする思いをした。
 コトノフ城という、街外れにある塔を訪れたときのこと。隣接した建物に、「ターボルの宝展」という、開設したてのごく小さなミュージアムがあり、城の遺産でも見るつもりで何気なく入ったら、虚を突かれて息を飲んだ。
 二〇〇一年、民家の改修中に十六世紀の住居跡が見つかり、土中から銀貨のつまった壺が発掘された。ミュージアムにはその銀貨が壁一面のガラスケースに一枚一枚並べられ、魚の鱗のような輝きを放っていたのである。
 総計四千枚。かつて神聖ローマ帝国で流通していたグロッシェン銀貨で、周辺一帯の邸宅や農園を買い占められるほどの額だったそうだ。住居跡は一五二五年に街を襲った大火災で焼けたもので、銀貨はそれ以前に埋蔵されたことになる。二つの壺にぎっしり詰めて密封、水が侵入しないよう逆さに埋めるという念の入りよう。その主が誰なのかはわかっていない。
 そんな大金が貯め込まれ、土の中に隠され、五百年にわたって眠り続け、発掘されたときには埋めた当人が存在しないどころか、誰にも記憶さえされず、通貨も使えない。
 何と壮大な虚しさだろう。無名の人間がこっそり貯めたこのお金が、妙になまなましく身近に感じられる。人間の五百年など昨日のようなものなのだなと納得し、私は爽快に笑いたくなった。
(東京新聞 2008年9月5日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-09-19 23:43 | 身辺雑記
 リーマン・ブラザーズが破綻した。これは1929年のような大恐慌の発端なのかもしれない。私だけではなく、おそらく世界中の人がそのような底なしの不安を抱いていることだろう。
 経済にうとい私が自分なりに解釈すると、アメリカ主導で進めてきたグローバル経済、新自由主義経済がとうとう限界に来て、破綻したということではないのか。もともとカネのない層から「自由に」カネを搾り取ってきた(ただで労働力を搾り取るのも同じこと)のであり、もうこれ以上搾り取ろうとしても一滴も搾れなくなったのだ。サブプライム・ローンのようなシステムが、いつまでも続くわけがないのだ。
 恐慌が起こったら、ブッシュ大統領はアメリカ史上でも最高の愚者として歴史に残るだろう。石油で金儲けしようとしてイラクに戦争を仕掛けて失敗し、莫大な戦費を出費し続け、史上最悪の財政赤字を膨らませ、その結果、サブプライム・ローンで金融不安が起こったときに、もう対処する金をなくしてしまっていた政権。
 例えば自民党の麻生幹事長は、景気対策に赤字国債をばんばん発行するべきだと主張する。つまり、カネがないならいくらでも借りればいいだろという、きわめて刹那的な発想だ。限界を越えた借金が、本当の経済危機のさいには爆弾に変わることを、今のアメリカは示している。アメリカにはルーズベルトのような大統領が今は必要とされているのかもしれないが、オバマ、マケイン両大統領候補とも、基本的には現状のグローバル路線をやや穏和にして守り続けるだろう。ネオコンよりもタカ派の極右であるペイリン(この人はちょっとセクトの教祖じみている)だけは、戦争してでもカネを奪えと言うかもしれないが。
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by hoshinotjp | 2008-09-16 21:24 | 政治
 格差社会を拡大させ続けるのか、何らかの手を打ってその傾向を変えるのか、今、世界の未来がどちらへ行こうとしているのか、その分岐点の一つが、ボリビアにある。ボリビアは今、未来への最前線の一つとなっている。
 エボ・モラーレス大統領は2年半前に就任して以来、天然ガス国有化や大土地所有制の廃止(農地改革)を進めているが、その利益を独占してきた既得権益層は当然のごとく抵抗、さまざまな「実力行使」で妨害してきた。この膠着状態を打開するため、エボ・モラーレス大統領は8月に国民投票を実施、6割以上の得票で信任を得たが、反大統領派は実力行使をエスカレートさせ、暴動を続発させている。
 そしてついに今週10日水曜日、エボ・モラーレス大統領は、暴動を背後で画策してきたとして、アメリカ大使に国外退去命令を発令した。
 ラテンアメリカとあまり縁のない多くの日本の人には、馬鹿げた話に思えるかもしれない。「反米左派」と形容されるエボ・モラーレスが突飛な行動に出たのだと、新聞記事を読めば思うかもしれない。
 だが私には、アメリカ政府は本当に暴動に関わっているのだと思える。実際に何十年にもわたって、CIAが中南米の国々で暴動を起こさせ、いくつもの内戦を仕掛けてきた歴史が繰り返されてきたのだ。それらは「汚い戦争」と呼ばれている。カネのためにアメリカが他国内で仕組んだ内戦だからだ。冷戦崩壊後は、アメリカはそれを中東で行おうとした。石油を意のままにするために。そして今度は、天然ガスをボリビア国民に渡してなるものかと、妨害工作をする。民主的に選ばれたはずの大統領の施策に、アメリカを味方につけた地方の有力者たちが従わず、ボリビアからの分離を画策し、暴動を起こす。アメリカは、自ら民主主義を壊している。ロシアがグルジアに対して取っている行動と変わりはしない。
 ラテンアメリカ諸国で、アメリカとは距離を置き、それまでアメリカ主導で進めてきた自由化路線を見直そうとする大統領が、ここ数年で続々と誕生している。それを先導してきたのは、ベネズエラのチャベス大統領だが、私はチャベスをどうしても好きにはなれない。その強権体質を信用できない。反米のためならプーチンと手を組むなんて、もってのほかである。しかし、強権を発動したりはしないエボ・モラーレスには、大いなる可能性を感じてきた。彼はこの2年、大変粘り強く民主的な手続きに則って、貧困を生む制度を根本から変えようと努めてきたと思う。だからこそ、その政策は実現しつつあるのだ。それは石油の収益を元手とした、ポピュリズム的な社会福祉を実施しているベネズエラとは、似て非なるように感じる。
 ボリビアの社会改革がアメリカ(と国内の既得権益層)につぶされるようなら、アメリカの陰にある日本でも、格差社会が根本的に解決されることは不可能だろう。投資家のためでしかない自由化社会は、形を変えて保持され続けるだろう。
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by hoshinotjp | 2008-09-13 22:45 | 政治
   ◆人事社会、日本◆
 一九八〇年代末、私は駆けだしの新聞記者として、地方支局で県政を担当していた。見よう見まねで覚えた政治の取材とは、ひたすら政治家及び役人の人間関係や力関係を把握する、というもので、どのような政策が実行されているかなどは二の次だった。黒幕は誰か。県議Aと県議Bは犬猿の仲だから、Aが賛成するあの政策はBが反対して実現しないだろう云々。
 今にして思えば、私はただただ「政局」の取材にだけ力を注いでいたことになる。人事に精通することが、県政を掌握することだと、勘違いしていたのだ。
 だが、悲しいかな、この勘違いは、現実にはかなり有効でもあった。なぜなら、多くの政治家が、自分の利権以外は人事にしか関心がなかったからだ。政治を動かす大きな原動力は、その人の思想以上に、人間関係だったのだ。
 この構図、何かに似ていないだろうか。そう、大分県教委である。能力よりも人脈がものごとを決するという原理は、ほとんど同じなのだ。
 さらに視野を広げてみれば、私の所属していた会社だって、同様の人事原理が大きな力を働かせていた。おそらく、日本の組織はどこも似たり寄ったりだろう。
 日本社会は、その人がどんな仕事をしたか、ではなく、その人が誰と関係あるのかで動く。派閥への配慮によって作られた福田内閣は、人事優先社会である日本の象徴にすぎない。そう考えると、政治家に限らず、既得権を持つ業界が二世三世四世ばかりなのも、説明がつくだろう。有利な人間関係を最初から持っているのだから。
 いじめ体質もここに一因があるだろう。表面上の人間関係の維持がすべてなのだから。
 (東京新聞 2008年8月29日付夕刊1面「放射線」 一部改稿)


「自民党総裁選」という内輪のオヤジ的な余興も、人事異動後に温泉宿で行われる社員旅行みたいなものだ。その会社の社員以外には関係ない余興。
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by hoshinotjp | 2008-09-12 12:08 | 社会
 若ノ鵬の姿を見ていると胸が痛む。解雇は厳しいが、今の相撲協会の現状を考えると、やむをえないだろう。けれど、今の若ノ鵬を責める気にはとてもなれない。むしろ、相撲協会の態度はこれでいいのか、と疑問と怒りがふつふつと湧きあがってくる。
 若ノ鵬はまだ20歳である。日本に来たときは17歳だ。責任を持って預かったはずの若者を、きちんと教育しきれなった責任を忘れて、切って捨てて放り出してよいのだろうか? たとえ相撲界に復帰させることは難しくても、何らかの立ち直りの措置を施すのが、疑似家族である部屋の親方、そしてそれをサポートする協会の役割ではないのか? 火の粉を振り払うような真似をするのは、あまりに冷酷で、無責任で、軽薄すぎやしないか? それが、教育を担ってきた大人のすることか?
 ソ連解体後のロシア社会の荒廃ぶり、特に、若ノ鵬の出身地である北オセチア共和国の、チェチェン戦争等による混乱が、彼にどのような環境を用意したか、想像する必要があるだろう。大相撲の世界に入ったことは若ノ鵬にとって、人間として堕ちていかないための、大きな機会だっただろう。リオのスラムの少年が、サッカーに打ち込むことで、犯罪者への道へ踏み込まずに済むように。
 大相撲の部屋制度は、疑似家族制度である。親方は力士に対して親としての責任を負う。だが、高砂親方(朝潮)に象徴されるように、親としての役割を果たしていない親方が増えているのが現状だ。朝潮と並んで、同時代に綱を張っていたプレイボーイ力士、若三杉(間垣親方)は、軽薄力士の代名詞だった。その軽薄さが、素質を十全に開花させなかった。私にはかれらが親方をした結果がこうなっていることに、何ら違和感がない。
 若ノ鵬のような、粗暴な一面を持ち、危ういところのある、しかしきわめて純朴でもある少年を預かることは、とても重い任務だ。だが、あのように生きてきたスター力士たちは、どこまでその重さを実感していただろうか。
 露鵬、白露山のケースはもうちょっと質(たち)が悪く、かれらを教育し直すことは無理だろうと私も感じる。だが、若ノ鵬については、その若さを考えても、反省の様子を見ても、彼が人間として堕ちないためのケアを施す義務が、親方や協会にあると感じる。
 そして、この大人の冷淡さ、無責任を平気で貫ける態度は、何も相撲協会だけのことではなく、この日本社会一般に広く蔓延しているように思えるのだ。高砂親方や間垣親方は、必ずしも特殊例ではなく、同じ世代の傾向をデフォルメしているだけとも感じられる。私たちは、かれらの指導不足を他人事のように非難できるのだろうか?

 追記・11日になって、若ノ鵬は「解雇は不当」と東京地裁に訴えた。これはやりすぎで、誰にも理解されないだろう。そして、こんなブログでの書き込みを知った。この記事によれば、若ノ鵬はしょうもない弁護士の餌食になっていることになる。これでいいのか?

 追追記・若ノ鵬の記者会見の記事を読んだ。唖然とした。記事のとおりだとすると、若ノ鵬は自分の道を閉ざしてしまったことになる。つまり、人間として堕ちるほうを選んでしまったことになる。そちらへ転んでは欲しくなかったが、もはや転げ落ちるのみだろう……。
 現場に立ち会っている高須基仁氏の最新書き込み
 私も、訣別したはずの相撲のことなんか書くべきではなかった。
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 福田首相が辞意を表明した日の日記で、私は「何はともあれ、現実生活の嫌なことは忘れて、この魔術的コメディを楽しまなくちゃ! そのために政治はあるらしいから。」と書いた。でもこれは政治家への当てこすりではなく、現在の日本の政治と有権者の関係を見ての感想である。
 なぜ、一団体の内輪の出来事である、自民党総裁選挙が報道されるだけで、支持率が大幅に上がるのか? この政党の政権に、生活を破壊されて苦しんだ記憶は、「総裁選」のひと言で忘れられるのか? 国政選挙を経ずに政権交代を3回もしていること、つまり私物化されている事態に対し、何も思わずに、「わー総裁選だー」と、なぜ盛り上がれるのか? 報道機関はどうして、平然と一政党の広報機関に成り下がって、総裁選挙を華々しく盛りたてられるのか?
 その答えが、上記のような感想である。「総裁選」は、現実の嫌なことなど忘れさせて、少しの間、夢を見させてくれる、オリンピックみたいな一大イベント、なのだろう。つまり、熱狂によって現実を覆い隠してくれる、「祭り」というブラインドなのだ。そうでもなければ、一団体の、各候補が本気で総裁を目指しているとはとても見えないあまりにも軽い総裁選に、党員でもない人間が盛り上がれるはずがない。
 この傾向を作り出したのは、言うまでもなく小泉元首相だ。あの時代の熱狂がいまだ忘れられず、性懲りもなく盛り上がってしまうのは、WBCが忘れられずに五輪野球に過剰な期待をしてしまう現象と似ている。小泉元総裁が自民党をぶっ壊したのに、なぜまだ自民党はあるのだ? ぶっ壊れた残骸が政権を取っているから、政治がこうなっているのではないのか? などと疑問には思わないのだろう。
 ちまたのこの性懲りもなさが、自民党の性懲りもなさを支えている。祭りというブラインドの陰で、自民党が何をしているのか。見たくないことを見ないようにしている限り、苦しむのは私たち自身だ。
 ちなみに、1年前の日記では、こんなことも書いている。日本相撲協会も、性懲りもない。いずれも、亡霊が統治している。
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by hoshinotjp | 2008-09-07 10:08 | 政治