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 世界の金融危機を誰よりも一番喜んでいるのが、麻生首相らしい。これで、思ったより支持率が低いまま衆院解散をしなければならない事態を回避できるだけでなく、「外交とか経済、これは麻生太郎が最も今、政治家の中では使える、と俺自身はそう思っている」と、なかなかご機嫌のようなのだ。
 それもそうだろう、「経済危機打開のために」という堂々たる大義名分のもと、税金を使いたい放題使えるのだ。もともと、役人と二人三脚でお金をばんばん使えば景気はよくなる、と信じている人なのだから、俺が首相になったとたん世界恐慌が来てくれて俺も運がついているなあ、というところだろう。
 むろん、財源のことなんか、考えない。景気がよくなれば税収が増えるんだから、心配するな、「将来は暗い、みたいな顔、するなって。暗い顔をしてるやつはモテない。モテたきゃ、明るい顔をしろ」。明るいからモテるうえ、うなるほど金を持ってるし、金の出所なんか心配したことないし、そんなの心配するのは暗いやつ、というわけだ。
 そんな具合に麻生首相が幸せであるのは何よりなのだが、私たちは自分の明日のことを考えなければならない。金の出所を心配しないわけにはいかないから。
 もちろん、急激に進行するこの経済危機に対しては、対症療法的な大規模の政策が求められるだろう。けれども、同時に、保険とか年金とか病院不足とか、これから長いスパンで解決していかねばならない問題を放置してはいけない。これらは結局自分たちの首を締める社会基盤だ。これらを、付け焼き刃の対症療法でしのごうとした結果が、現在ではないのか。
 そうならないためには、私たちが信任した政権に、じっくり取り組んでもらう必要がある。今の麻生政権は、信任を得ていない、とりあえずの内閣だ。だから、どんな政策を打ち出しても、来るべき選挙ための政策になってしまう。今、最もよろしくないのは、税金を「経済危機」の名のもとに場当たり的な政策に過剰につぎ込むことだ。
 危機のさなかに選挙をしている場合か、という意見にも一理はあろう。でも、場当たり的な政策しか打ち出せない短期期限の暫定内閣に、本腰を入れた危機対応ができるのか、と思う。任期を迎える来年の8月には、さらに世界の経済が緊急事態に陥っている可能性もあるのだ。私はこのような経済危機の暗闇の中を、気分だけはイケイケのその場しのぎ内閣に先導されていることのほうが、よほど不安である。
 しかも、公的資金投入のハードルを低くして、何と、都市銀行東京の危機を救おうという話まであるというではないか。都民の税金を無駄にした父親の愚行を、息子が国の税金を使って救おうという、二代目による国家財政の私物化の極みみたいなことまで許されるとしたら、二代目でも政治家でもない人間たちの存在は、何なのだろう。
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by hoshinotjp | 2008-10-26 22:36 | 政治
   ◆東アジアの作家交流◆
 九月三十日から十月四日まで韓国で行われた、「韓・日・中 東アジア文学フォーラム」に参加してきた。隣人である韓国、日本、中国の作家が自ら企画し、集まり、交流していこうという試みの第一回目である。
 日本と韓国の作家の間では、一九九二年の日韓文学シンポジウムをスタートとして、さまざまな形で親交を深めてきた。当初は歴史認識等の問題で紛糾するといった困難に直面したが、回を重ねるごとに個人的な信頼関係を築き、今では作家たちの間にある種の共通意識ができあがっているように思う。
 従って、今回のフォーラムの主眼は、韓国と中国、日本と中国の作家の間で、対話を成立させることだった。
 率直に言えば、会話をすることはできても、真の意味で文学の対話をするには、まだ時間が必要だと感じた。私と同じセッションに出席した中国の作家が、自身の発表の後で質問に答えるときに、「では、ここからは私個人として意見を述べます」と言ったのが、象徴的だった。
 それでも、例えば三国の政治状況が苛酷であった三十年前であれば、作家同士の交流など認められなかっただろう。決裂を恐れ、あまり核心には踏み込まず、腫れ物に触るようにして運営された会議ではあったが、参加した文学者たちは、語られたなかった言葉こそを読みとったのではないかと思う。
 時期は未定だが、次回は日本の開催である。対話がさらに実りあるものとなるよう、努力していきたいと思う。
(東京新聞 2008年10月10日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-10-25 11:48 | 文学
 過ごしやすい陽気ではあるけれど、秋としては異例の暑さが続いている。乾燥しているから気づきにくいが、平年の気温を3~5度、上回っているのだから、尋常じゃない。このため、10月下旬になろうというのに、蚊がものすごい。ちょっと湿気のあるところや植物の密生しているところで立ち止まると、日中でもたちまち群がってきて刺しまくる。この蚊が普通のサイズよりだいぶ小さく、最初は蚊ではなくて害のない羽虫だと思っていたものだから、ひどい目に遭った。気づいたら顔中がむしょうに痒くなり、ジャガイモのようになってしまった。
 乾燥しているから昼と夜の気温差はそれなりにあって、木の葉は何とか紅葉し始めている。近くにプラタナスの街路があり、繁った大きな葉が黄色く色づくのを楽しみにしていたところ、突然丸裸に! 何と、業者が枝を葉ごと落としてしまったのだ。おそらく、落ち葉の処理が大変だから、事前に片づけた、というところだろう。
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 これを見るたびに、とても殺伐とした気持ちになる。経済と効率の観点から不要なものは、さっさと消したほうがよい、というようなメンタリティ。底なし沼の奥から暴力の泡がぽこりと地表に浮いてきたような印象。
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by hoshinotjp | 2008-10-21 22:07 | 身辺雑記
 2年前の今ごろ、ロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺されたことは、先週、この日記でも書いたばかりだ。そのふた月後に核物質を紅茶に盛られて殺されたリトビネンコの命日も、近づいている。
 そして今また、こんな事件が起こっている。
「反プーチン派弁護士の車に水銀?」

 いずれも、暗殺されているのは、プーチン政権の政敵ではない。ごく普通の生活者であり、ただ、見て見ぬふりができないだけの人たちだ。これは日本の隣の国で起こっていることなのだ。
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by hoshinotjp | 2008-10-18 00:12 | 政治
 岡田監督、辞意表明。
 よっしゃ!
 ……何、サッカーの話じゃないの? あ~あ。

 得点力が足りないのは、今に始まったことではない。Jリーグの現状があのような弛緩したものなのに、代表だけ強くなれるはずがない。
 そういった要素を差し引いても、昨日のワールドカップ最終予選ウズベキスタン戦は、見る人の気持ちをひどく沈ませるものだった。なぜなら、日本の選手は、まるでチャリティー・マッチを行っているかのような態度だったからだ。これはワールドカップなのだ。本番なのだ。本番の試合にあのような弛緩した姿勢で臨んで、「内容は悪くなかった。悲観することはない」と言われると、観客として、馬鹿にされたような気がする。私たちはブーイングをすべきだ。
 オシム監督時代との違いは、何よりもこの、誰も助けてはくれない吹きさらしの現場の厳しさを肌で理解できているのかどうか、だと私は感じる。オシム監督は、そういう場に選手を放り出し、自分でどうにかするほかないことを、実地で学ばせようとしていた。選手も少しずつ、その意識を身につけ始めていた。だから、オシム監督のサッカーには、常に「未来」があった。今日とは違う明日がありうることを、信じることができた。
 岡田監督のサッカーの内容自体は、特に良いとも悪いとも思わない。うまく機能すれば、それなりの内容で勝つだろう。運がよければ、ワールドカップも出場できるかもしれない。にもかかわらず、毎回、何だこのしみったれたサッカーはと悪態をつき、もう我慢できないという気持ちになり、次第に代表戦への関心が薄れていくのは、岡田サッカーに「未来」を感じられないからだ。観戦すればするほど、閉塞感と停滞感でうんざりして、同点弾の場面でさえ、カタルシスを感じない。なかなか見事な得点だったにもかかわらず。勝っても負けても引き分けでも、ワールドカップ出場権を取ろうが取るまいが、何も変わらないという印象を抱かせられてしまう。日本のサッカーはもうこれ以上変わらないのだ、伸びないのだ、という行き止まり感。未知の領域には踏み込めず、今まで見て来たことの繰り返ししかない、という諦め。
 むろん、そんなことはない。選手の潜在能力は高くなっているし、層だって本当は厚くなっている。ただ、それを掘り起こして育てる人材が限られているということだ。Jリーグでも、千葉のミラー監督(今の千葉はオシム時代のように面白い!)、名古屋のストイコビッチ監督、大分のシャムスカ監督、と数少ない。
 オシムが倒れたときには、自分のいっさいの感情を封じて、岡田サッカーにつき合うしかないのだ、ワールドカップに出場できればそれでいいのだ、と言い聞かせてきたが、千葉のミラー監督を見ていて、いや、今から替えても、すぐれた人物であれば、選手の精神面を立て直すことはできると思い直した。2002年のブラジルをどん底の状態で引き受けてW杯優勝まで持っていったフェリーペ・スコラーリのような例もある。彼は磐田の監督もしていた。岡田監督しかいない、なんて思う必要はなく、目の前にいくらでも選択肢はある。
 私としては、例えば代表チームのコーチの大木氏(前の甲府の監督)に監督についてもらったほうが、まだ可能性を感じるような気がする。
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 1年前が昨日のことのように感じられる。去年の今ごろ(正確には10月7日)、鉢植えのエリカ(別名ヒース)を買った。無力感に打ちひしがれて、花屋の前でベンチに座っていたら、目が合ったのだ。売れ残りの、みすぼらしいエリカ・ホワイトデイライトだった。帰って植え替えたら、たちまち繁茂した。1年前の今ごろは、この手の生命力に無性に触れたい気分だったのだ。
 この夏にはカイガラムシがたくさんついたりし、枝をずたずたに切ったりしたが、相変わらずたくましく繁茂している。
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by hoshinotjp | 2008-10-15 15:31 | 身辺雑記
   ◆わかりやすさの罠◆
 去年から、純文学の新人賞である「すばる文学賞」の選考委員を務めている。二回ほど選考を行ったのだが、読みやすくわかりやすい作品が多いことが気になった。
 平易であることは本来、悪いことではない。私も、文学は難解であるべきだなどとはまったく思わない。けれども、平易な作品ばかりであふれかえっていったら、やはり不気味に感じる。何しろ世の中は今、小説に限らず、「わかりやすさ」がやたらと求められているからだ。
 本屋や相撲界を見渡せば「品格」の嵐。スポーツ報道では執拗に「感動」を強要される。政治に目を向けると、「自民党をぶっ壊す」に始まり、「改革」「テロとの戦い」といったワンフレーズに熱狂する。「エコ」と謳われれば確かめもせずに商品に飛びつき、「ワーキングプア」と口にすることで、「格差社会」なるものの実態を理解した気になる。
 いずれも、雰囲気や現象を表しているだけの言葉で、重要なのはその中身のはずだ。それを知るには、もっと大量の説明の言葉が必要となってくる。
 だが、それは読みにくくわかりにくい。だから、「つまり、ひとことで言うとどうなんだ」と要求される。必要とされるのは、自分をわかった気にさせてくれるキーワードなのだ。
 キーワードの裏には、表示と違う説明が隠されているかもしれない。わかりやすさに安心していると、私たちはまた、偽装した政治や経済に騙されるかもしれない。
(東京新聞 2008年9月26日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-10-13 22:11 | 文学
 ノーベル文学賞にル・クレジオ氏。ちょっと意外だったけれど、きわめて正当で喜ばしい決定だ。日本で取り沙汰されている作家よりもずっと、妥当で価値ある受賞だろう。私も深く尊敬している作家のひとりである。
 ただ、その価値を認めたうえで、やはりノーベル賞はヨーロッパの賞だなあとつくづく感じる。平和賞や文学賞といった、人文的な評価が伴う分野となると特に、ヨーロッパ型の人権概念、デモクラティックな視点が強く前面に出てくる。そして、文学賞はやはりヨーロッパの作家に授けられることが圧倒的に多い。まあ、ル・クレジオ氏は、最もヨーロッパ人から遠いヨーロッパ人ではあるけれど。でもヨーロッパだから生まれた作家であることも確かなのだ。
 そのことも頭の隅に置いておきながら、ル・クレジオ氏の受賞を大いに寿ぎたい。
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by hoshinotjp | 2008-10-09 21:47 | 文学
  ◆ロシアの良心◆
 十月七日は、私が世界で最も尊敬するロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの命日である。二〇〇六年のこの日、プーチン政権の闇を暴き続けてきたポリトコフスカヤは、自宅前で何者かに銃で暗殺された。
 四年前に彼女の『チェチェン やめられない戦争』を読んだとき、勇気ある衝撃のレポートに感銘を受けると同時に、その歴史観に驚いた。冒頭には、一五〇年前に書かれたトルストイの小説が引かれているのだが、チェチェン人との戦いを描いたその一節は、現代のチェチェン戦争そのままだったのである。
 明治維新後、富国強兵を強引に実施した日本は、その急激な近代化の矛盾に苦しむことになる。そのときに明治の知識人たちが心の拠り所としたのが、トルストイの徹底した平等同主義だった。そのトルストイは青年時代、途上国ロシアが急速に近代化を進める中で、チェチェン地方を植民地化する戦いに兵士としておもむき、近代化の矛盾を実体験したわけだ。やがて、新興国としてのし上がってきた日露が戦争に至るのは、ご存知のとおり。日本はあの戦争を通じて、ナショナリズムを確立させることになる。
 今、日露の関係はよくも悪くもない。だが、両国とも「愛国教育」を過熱させており、何らかの摩擦が起これば、相手を敵視することもありうる。日露戦争の記憶が召還され、ナショナリズムを激しく高揚させるかもしれない。
 そんな愚かな歴史を繰り返さないためにも、私はポリトコフスカヤを読み返す。
(東京新聞 2008年10月3日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-10-07 16:45 | 政治
 昨日、韓国より帰国。9月30日から1週間にわたりソウルと春川(チュンチョン)で行われた、「韓・日・中 東アジア文学フォーラム」に参加してきたのである。楽しいと同時に、あまりのハードスケジュールにへとへとになりもした。日本・中国からそれぞれ10人以上、韓国からは20人以上の作家、詩人、批評家、文学研究者が参加する、一大イベントであった。これから各新聞、各文芸誌でいろいろなレポートが登場すると思うので、詳細はそちらを見てください。お世話になった皆さま、ありがとうございました。
 私としては、親しくしている同世代の韓国作家との再会がまず楽しかった。それから、ずっと尊敬し、文庫の解説も書いていただいたのに、未だお目にかかっていなかった朴裕河さんと、ついにお会いしてゆっくりとお話しできたこと。林哲佑さんという先輩作家と意気投合し、大切な言葉をいただいたこと。韓国学生たちとのざっくばらんなおしゃべり。それら貴重な財産を得て、帰ってきた。
 残念ながら、中国の作家とはほとんど交流できなかった。これは次回、日本開催時の課題として持ち越しである。
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by hoshinotjp | 2008-10-06 19:30 | 文学