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 元厚生事務次官ら殺傷事件は、今年前半に相次いだ、無差別通り魔事件と同類の事件だと、私は感じている。次第に明らかになっていく供述や報道の情報によると、消極的で人間関係をうまく築けなかった小泉容疑者も、人生の大半にわたってきわめて孤独な状態に置かれてきた。そして、職を失ったことから来る経済的苦境。社会的にも経済的にも、まったく無視された状態にあったわけである。
 こういう事件は、一種の表現である。無視された者が、最期をかけて、存在を主張している。と同時に、社会自体が、人間の共同体の生態系が壊れていることを示す指標として、このような事件をあらしめている。温暖化で旱魃や水害が起こったりするように。
 小泉容疑者が感じ続けていたであろう社会からの圧力は、じつは私たちにもかかっている。ただ、どうにかしのぐ術があったり、運がよかったりするがゆえに、その圧力に押しつぶされていないだけだ。押しつぶされてはいなくても、その圧力によって、間違いなくゆがんでいる。小泉容疑者ほどの極端なゆがみではなくても、形としては同型のゆがみを抱えている。だから、彼を異常な他人として切り捨てれば捨てるほど、自分も持っているゆがみに気づきにくくなる。そのことが、このような犯罪に拍車を掛ける。
 小泉容疑者は、宮崎勤や宅間守と同世代だという。この世代は、オウム真理教の幹部たちとも重なっている。もし小泉容疑者がオウム真理教に出逢っていたら、入信していてもおかしくなかっただろう。あの事件を直視しないで封印してしまったことも、小泉容疑者及び私たちをゆがませている圧力の一つである。
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by hoshinotjp | 2008-11-27 23:30 | 社会
   ◆薄くなる新聞◆
 仕事で夜を明かした朝、向かいの団地に朝刊が配られる様子を眺めていて、愕然としたことがあった。新聞を取っている戸数があまりにも少ないのだ。百戸ほどあるうちの半分にも及ばない。
 このショックを体験したのが一年前のこと。今、新聞各紙は大幅にページを削減している。広告を取れないので、紙面が余ってしまうせいらしい。なぜ広告が取れないのかといえば、購読者が減少の一途をたどり、広告効果が薄くなったからだ。
 新聞を読まない人たちの情報源として急拡大しているのが、ネットや携帯のニュース。一行見出しのようなあの記事も、じつは大半が新聞各紙の配信による。つまり、手間暇かけて取材して書いたプロの記事が、IT企業に買い叩かれているわけである。
 これでは記者は育たない。私も記者経験があるが、その活動の半分以上は、記事にならない基礎的な情報収集で占められる。経営が厳しくなると、そんな余裕は許されなくなり、すぐ紙面になる取材ばかりが求められかねない。手っとり早く既成の枠組みに当てはめただけの記事が増え、文章からは批判的な視点が失われていく。
 格差を生んだグローバル経済が、新聞も駆逐しようとしている。スピードとコストダウンが至上命題とされる社会で、時間と労力のかかる文学が読まれなくなり、新聞も読まれなくなった。行き着く果てが、ワンフレーズの号令で大衆がいっせいに動くような社会でないことを、祈るばかりである。
(東京新聞 2008年10月24日付夕刊1面「放射線」)

 昨日の報道によると、朝日新聞が赤字に転落した。広告の減少、販売部数の落ち込みによるものだという。これは朝日新聞の問題ではない。日本テレビとテレビ東京も赤字となっている。出版社でも、看板雑誌の休刊が相次いでいる。既存のメディアすべてを覆う、構造的な危機である。むろん、だいぶ以前から進行し、予測されていた事態であった。既得権益層と化したメディアが、それに対応できないでいるという面もあろう。だが、やはり歓迎すべき事態だとはとても思えない。
 私の感じる危機は、メディアの経済的な問題ではなく、受け手の感性の変化にある。紙の新聞を読むことは常に、ニュースが誰かの手を経てこちらの手元に届くことを感じさせてくれる。そこには、取材して記事を書いている記者の存在感が、まだ残っている。つまり、世界が物理的に存在しているさまが、痕跡として留められている。インターネットは、その「媒介」の感触を無にする。自分が世界とダイレクトにつながっているという錯覚を、リアリティにすり替えてしまう。世界との関わりは、物理的なものではなくなり、感覚的なもの(神経の刺激だけに寄るもの)に変わる。つまり、本当は自分の物理的な肉体の感覚器官を通してつながっているのに、物理的な自分の肉体はあたかも存在していないものであるかのように感じられるのだ。
 こうやって自分という物理的存在を消していく方向へ爆走していって、本当によいのか?
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by hoshinotjp | 2008-11-22 23:11 | 社会
 ワールドカップ最終予選、カタール対日本。やっと満足できる内容で勝てた。ボールも人も動くサッカー、パス&ムーブといった基本的なことができた、と岡田監督は言っていたが、まさしくサッカーの基本で、これは岡田ジャパンのコンセプトでも何でもない。世界中で、人しか動かないサッカーやボールしか動かないサッカーをしているチームがどこにあろうか。つまり、岡田ジャパンはまだサッカーをしていなかったということになる。
 中村俊輔は、試合後のコメントで、こう述べている。
「アジリティー(敏捷性)のある選手が増えて、オシムさんがやってきたことが今、いい方向に来ていると思う」(スポナビより)
 オシム監督は、日本人にサッカーの根幹を体で覚えさせようとしていた。まだ、意識しないとできないレベルではあるけれど、少しずつ自動的に出てくるようになったという手応えを感じたのだろう。これは監督が誰であれ必要な要素で、それが日本にはまだ欠けていて、オシムが植えつけようとしていた、ということだ。
 日本代表のサッカーは、昨日のプレーを標準としなければならない。最低限、昨日のプレーは常にできたうえで、進化していくべきなのだ。
 で、何よりも、ワールドカップ(予選も含む)という本番の試合では、相手を上回る意思と集中力で、キックオフ直後から相手を圧倒することが、勝利を左右する。きのうの日本はそれができていた。ユーロ2008では、例外なく、キックオフ直後に相手を押し込んだチームが勝ち上がっていた。本当に一試合も例外はなかった。日本はホームでもこれができるようにならなければいけない。
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   ◆もっと暑苦しく◆
 前回に続き、十月頭にソウルで行われた「韓・日・中 東アジア文学フォーラム」の話題。
 事前に「竹島/独島問題についてメディアから尋ねられる可能性あり」と聞かされていたので、私は答えを用意していった。それは、世宗(セジョン)大学教授の朴裕河(パクユハ)さんがその著作『和解のために』(平凡社)で説いている、双方の友好の象徴として共同統治にしてはどうか、という考えに賛同する、というものだった。
 結局、この話題に触れられることはなく、私はどこかでほっとしていた。しかし、フォーラム中、当の朴裕河さんに初めてお目にかかり、ゆっくりとお話しするうち、私は自分を恥じることになる。
 日韓の作家交流の原点である一九九二年の「日韓文学シンポジム」に創設時から関わっている朴さんは、この交流の場を、たんに友情を確かめ合うだけではなく、日韓の間に摩擦が起きたときにこそ立ちあがって何らかの意思表示をし合う集まりに成熟させたい、とおっしゃったのだ。
 この言葉を聞いたとき、私も心の奥底では、親しい韓国作家たちと、例えば竹島/独島問題について率直に話したかったのだと気がついた。
 なぜ信頼を築くかといえば、絆が壊れそうな危機を迎えたとき、きちんと踏み込んだ対話をすることで、それを乗り越えるためである。居心地のよい関係を崩したくないがために踏み込まないのであれば、それは本末転倒だ。
 国家や文化間の対立に巻き込まれないために、私は韓国の友人たちに対して、もっと暑苦しくなりたいと思う。
(東京新聞 2008年10月17日付夕刊1面「放射線」)

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by hoshinotjp | 2008-11-16 23:41 | 文学
「あ、先輩。奇遇ですね。こんなところで何してるんですか?」
「俺はアキバ、大好きなんだよ。漫画も詳しいしな。で、おまえはどうした? 景気の悪い顔してよ。モテないぞ」
「景気、悪いんですよ。だから仕事ないんです」
「あ、そうか。じゃあ飲み行くか」
「先輩はどうせ高いバーとかでしょ。そんな気分じゃないすよ」
「北の家族、なんてどうだ? ほっけの煮付けなんか、うまいぞう」
「ほっけは煮付けにはしませんよ」
「あ、そうか。俺は九州の出だからな」
 ……
「な、案外、うまいだろう?」
「俺にはいつもの味ですけどね」
「しかし、おまえの同期みんな、そんな困ってるのか。こりゃ、みぞうゆうの不景気だな」
「先輩、それ、みぞう、じゃないすか?」
「あ、そうか」
「先輩って、いくら揚げ足取っても怒らないですよね。人間できてるなあ」
「俺は前向きな人間だからな。よし、一肌脱いでやるか。……とりあえず、この金を……」
「すごい、札束じゃないですか!」
「みんなで分けろよ。おまえの代は何人だ? 80人だっけ? だとすると……一人頭12500円ってところか」
「太っ腹だなあ。さすが先輩、普段からこんな現金持ち歩いてるんだ」
「この現金はOB会費だけどよ、あとで俺が、気の毒な後輩たちへのカンパに使ったって言って寄付集めするから、気にしないでどーんと使ってくれ」
「そらあ、まずいんじゃないすか?」
「いいんだって。困ってるやつにはできるだけ早く金が渡ったほうがいいんだよ」
「困ってるやつって、俺とか、さっき言った4人とかは、確かに仕事あぶれてますよ。同期にも他にもいるとは思うけど、80人全員があぶれてるわけじゃないすからね。吉田なんか、親の遺産だけで一生働かないでいいなんてうそぶいて、家事手伝してますからね。困ってないのに、あいつにも分けてやるんですか?」
「あ、そうか、それも何だなあ」
「高給取りのやつもいますし、全員で分けたら、『困っている奴にカンパ』じゃなくなっちゃいますよ」
「じゃあ失業してるやつだけに限る、ってことにしよう」
「それじゃあ吉田も入っちゃいますよ。さっきも言ったけど、小林なんか、失業してないけど、ある意味、俺たちよりひどいですからね。あの薄給で、子ども三人抱えて、親の入院費も出して、しかも単身赴任ですよ」
「わかった。困ってないやつには自主的に遠慮してもらうってことでどうだ? 妙案だろ?」
「先輩は前向きな性格だから、そんなのんきなこと信じられるんでしょうね。ただで金くれるっていうのに、誰も自主的になんか、断りませんよ」
「おまえさ、人生、のんきさも必要だよ。カリカリしてるから苦しくなるんだろ」
「仕事がなくて金がないからですよ!」
「ほら、カリカリしてる。おおらかに構えろよ。そうすりゃあ、運も開けてくるって。よし、俺がそのきっかけを作ってやる。おまえにこの100万円を渡すから、自由に配ってくれ。誰に配るかは、おまえの裁量に任せる」
「えー、冗談じゃないですよ。配らなかったやつから文句言われるの、俺ってことになるじゃないですか。それ以前にこの金、OB会費でしょ? みんなの同意も得ないで、役員でも何でもない俺が勝手に分けちゃうなんて、ヤバいすよ。先輩が決めたんだから、先輩がどうにかしてくださいよ」
「おまえ、今は分権の時代だよ? 一人一人に権限を渡して、それぞれが自力でどうにかするって流れだよ。それが自立ってもんだ。俺も応援はするけど、決めてください、なんて、そこまで甘えちゃあいけないな」
「それ、おかしくないですか? 権限渡すっていうんなら、俺にまず役職くださいよ。それで、俺がお金集める権限までセットでくださいよ。そのうえで使い道も任せる、っていうんならわかるけど、先輩が決められないから俺に任せるって、ただパシリに身代わりになれって言ってるみたいなもんじゃないですか。何が自立だ、お気楽にもほどがある」
「カリカリすんなって。どうも誤解があるようだから、これからもちょくちょく、はんざつに会おう。じゃあ、任せたからな」
「はんざつ、じゃなくて、ひんぱん、ですよ」
「あ、そうか」
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by hoshinotjp | 2008-11-13 16:03 | 政治
 今月上旬に各報道機関が世論調査を実施しているが、新聞各紙の調査だと、内閣支持率はどこも下落、「不支持」が上昇して「支持」を逆転している。だが、NHKの調査だけ、「支持」が上昇、「不支持」が減って、「支持」が「不支持」をやや引き離していた。
 たまたま、そういう結果が出ただけかもしれない。しかし、最近のNHKニュースのあからさまな与党寄りの報道を見ていると、つい、疑念も抱いてしまう。今の経営委員会が関係しているのかわからないが、全体として、政権に対してへつらうような印象を強く受ける。
 それにしても、麻生首相が解散総選挙を先送りしたことは、本当に政治的空白を回避したことになるのだろうか。私にはむしろ、現在が政治的空白そのものに思える。経済危機に対応すると言って行う政策が、「困っている人には1万2千円のお小遣いをあげますよ、でも困っていない人は自主的にもらわないでくださいね」。これでカネが流動化し景気が回復するのであれば、私でも首相が務まりそうな気がする。しかも、「お小遣いあげたらお金がなくなるので、のちほど消費税を上げて回収しますからね」と言われて、景気の先行きに安心感を抱く人がいるだろうか? 「1万円あげるから、あとで1万円貸して」と言われているようなもので、結局何もしていないではないか。
 これを政治的空白と言わないで、何と言おう。選挙をして、選ばれた政権が腰を据えて、もっと根本的な政策を打ち出すべきではないのか。何だか、地元の親分がきまぐれにカネを垂れ流しているだけの、どうしようもなく停滞している村にでも住んでいる気分だ。
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by hoshinotjp | 2008-11-12 02:39 | 政治
 浦和の来季の監督に、ドイツ人のフォルカー・フィンケ氏という報道があった。詳細はこちら
 これは期待大である。いま発売中のNumber715号で、かつて千葉にオシムを呼んだ祖母井氏が、「次に一緒に仕事をしたい人」「日本のサッカーを変えてくれる人」と名を挙げていたのが、フィンケ氏だった。友人であるオシムも高く評価をしている指導者だそうだ。実現するといいな。
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   ◆アメリカをやめる◆
 アメリカ大統領選まであと数日。一国家の首長選挙とはいえ、世界中にこれほどのダメージを与えてきたのだから、アメリカ国民じゃないけれど投票させろ、と言いたい人は各地にたくさんいることだろう。
 逆に、私のアメリカ人の友人Aのように、その権利を放棄する者もいる。アナーキストを公言するAは、アメリカ北中部の大学で教鞭を取っていた。しかし、言葉では常にリベラルな意見を述べるのに、実際の態度では身近な貧困や差別に目をつむる優雅な知識人たちに、嫌悪を募らせていく。だから彼女の目から見れば、マケイン候補はむろん、そのような知識人たちに支持されているオバマ候補もうさんくさい人間となる。そして今年の夏、カナダに新たな職を得て移住してしまった。「アメリカをやめることにした」と宣言して。
 この、「アメリカをやめる」という言い回しは、アフリカ系アメリカ人のランドール・ロビンソンという人権活動家が、その著作のタイトル(Quitting America)として使った言葉だという。彼もアメリカから、カリブの小国へ移住したのだ。
 無政府主義者であるAの「アメリカをやめる」宣言は、民主党か共和党かという選択ではなく、両者の共犯の歴史を根本から批判するものだ。これ以上アメリカの犯す罪に荷担しない、という意思表示でもある。
 私もそのような気持ちで、日本をやめたい。けれど、無政府主義者でも有政府主義者でもない私は、「まずは政権を選ばせてくれ」と独り言をつぶやくのがせいぜいである。
(東京新聞 2008年10月31日付夕刊1面「放射線」より、一部改稿)


 アメリカ大統領選はオバマ候補が当選した。共和党政権が続くよりはマシな結果だとは思う。演説がうまいから、当選のスピーチもなかなか感動的だった。でも、どこまで根本的に変えようというのかは、まだわからない。私の意向などどうでもよいのだけど、私はこの人をまだ信用していない。
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by hoshinotjp | 2008-11-05 23:37 | 政治
 今朝の東京新聞特報面(21面)で、北大の山口二郎先生がコラムで取りあげていた、不当逮捕の映像はこちら
 麻生首相の家に行こうと渋谷の街で呼びかけていたら、警察に逮捕されたというもの。この「デモ」を主催していた人たちに共感するかどうかは別として、この映像、及び、YouTubeにアップされている関連映像を見ると、警察はその気になればどんな口実でも人を逮捕できるという性質がよくわかる。それを、社会やメディアや公的機関や司法が合法と見なせば、合法になるのである。それはもともと、暴力だからだ。そのあたりの原理的な分析は、萱野稔人氏の『国家とはなにか』が明解だ。
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by hoshinotjp | 2008-11-03 13:31 | 政治