<   2009年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 ヒトラー政権に投票する人が過半数を超えるだとか、対独宥和政策をとるだとか、市場の力を信奉して大恐慌が起こっても民間経済に介入しないだとか、アメリカとの戦争を勝算もなく始めてしまうだとか、歴史を学んでいると、何でそんな愚かな選択をしてしまったのだろう、と思うことはよくある。それはあくまでも自分が渦中におらず、歴史上の出来事となったから、客観的に「愚かだ」と判断できるのだと思ってきた。
 だが、21世紀に入ってからは、自分が渦中にいても、「なぜそこまで愚かな選択をするのだ」と思うことが激増した。日本で行われる各種の選挙についても同じだ。そのように思う自分が絶対正しいとは思わない。けれど、選択をしている民意も正しいとは思えない。市場が過つように、民主主義下の民意もしばしば誤る。ただ、数が多く主流派を形成するため、誤りが見えにくくなるのだ。だから、私は権力を持つ者を信用しない一方、民衆だとか大衆といった一般人をも信用はしない。人間は自らに生来の性質として備わる愚かさをどうやっても克服はできない、と思っている。ただ、努力すればその愚かさを最小限に抑えることはできるはずである。
 民意が誤りを犯すケースの一つは、人々が集団化して、一体感のもと、熱狂している場合である。白けているときの選択は、正解を選ばないかもしれないが、決定的な間違いも犯さない。しかし、熱狂しているときの積極的な選択は、決定的な過ちにつながりうる。
 では、人間はどうして熱狂してしまうのか。熱狂するとなぜ恐ろしい間違いを犯すのか?
 最近はそのことをよく考える。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-30 23:05 | 社会
 WBCの劇的連覇のあと、急に「サムライ」「侍」という言葉がメディアで濫用されるようになっている。例えば、サッカーでも。
http://southafrica2010.nikkansports.com/news/p-sc-tp2-20090326-475539.html
 まあスポーツ紙なのだから、目くじら立てるほどのことはないのだけど、自己犠牲がサムライ精神?と思ってしまう。じゃあスペイン代表のマルコス・セナとかは? 昔の侍は自己犠牲したのか? 「自己犠牲」という考え方は「特攻隊」の精神であって、侍ではないのでは? 侍の所属は「藩」であって、決して幕府のために命を捨てることではなかった。そして「日本」とは敵対した。
 こんな堅苦しく考える必要は本当はない。「サムライ」はあくまでもイメージにすぎなくて、盛りあげるためのキャッチコピーでしかないのだから。現実の侍も関係ないし、「サムライ魂」「サムライ精神」が何を意味するかも、じつはどうでもよい。そこを空白にしておくことが、イメージが機能するためには大切なのだ。
 ただ、私が何だかなあと思うのは、サムライという言葉の流行の経緯である。サッカーでも2006年のワールドカップのユニフォームは「サムライ・ブルー」という言われ方をした。その前のユニフォームでは、「刀」のイメージが使われた。男子の「サムライ」に合わせて、女子サッカー日本代表は「なでしこ」と命名された。WBCの日本代表は、前回も「サムライ・ジャパン」と呼ばれた。
 このすべてが始まったのは、私の記憶では、トム・クルーズが主演した滑稽なハリウッド映画『ラストサムライ』である。これが世界でヒットしてから、日本人は自分たちのことを「サムライ」と称するようになったのだ。つまり、アメリカ人に「おまえたちはサムライだろ」と言われて、「あ、ほんとだ、われわれはサムライなんだぞ。サムライは強えんだ」と胸を張っているような印象を、「サムライ」という言葉を目にするたびに抱くのである。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-26 13:00 | 社会
 このところ放映していたNHK特集「プーチンのロシア」全4回を見終えて、自分がなぜロシアをこれほどまでに気にしてしまうのか、改めてよくわかった。特に第4回目の士官学校を取材した「プーチンの子どもたち」は興味深かった。
 ロシアも、プーチン以降、強烈な愛国教育が行われている。「ロシア」というのは、愛国教育は21世紀の世界の趨勢だからだ。中国しかり、インドしかり、アメリカも宗教を通じてその傾向を強めてきたし、イスラム原理主義は「国」という単位ではないがイスラム民族に対する愛と忠誠を至上のものとしている。日本も例外ではない。共通しているのは、個人よりも共同体の運命を重視し、個人はその共同体のために奉仕する(殉ずる)存在である、と説いていることだ。いわば、世界中で皇民化教育が行われていると言ってよい。ちなみに、愛国すなわちパトリオティズムと、民族主義、ナショナリズムなどの違いは日本では明確ではないが、外国では地域の歴史によって複雑な違いを持っている。
 この愛国精神を最も育てる場が、軍隊とスポーツである。どちらも、「敵と戦う」ことを究極の目標としている。ロシアの愛国精神が高揚し国民が熱狂に包まれたのは、去年の北京五輪のとき。ただし、オリンピックに熱狂したのではなく、その時期に行われたグルジアとの戦争に熱狂したのだ。決して右翼だけが高ぶったわけではなく、ごく一般のロシア人たちが勝利に酔った。外側から見れば、どう考えてもただの残虐な侵略でしかない暴力が、内側の人間たちには褒め称えるべき愛国行為なのである。
 なぜ、愛国精神は戦いの場でこそ発揮されるのか? 国を愛するというのだから、例えば10人の老人が火事で焼け死んでそのうち7人が誰だかわからないといった事態に対し、愛国心を発揮して国民の死を悲しみ、その身元を探してみようとする、といったことがあってもよさそうだけど、そうではなく、なぜいつも戦いの場ばかりなのか?
 要するに、愛国とは常に敵を必要とするのである。と言うより、敵しか必要ではないのだ。敵と戦う自分たちこそが国を愛する国民であり、それを実感することだけが求められているのだ。だから、敵のいない愛国はありえない。敵がいなければ、無理やりにでも敵を設定する。
 愛国に熱狂する集団の恐ろしさは、内部にいる者でさえも敵と見なしうる点にある。近いところでは森達也さんが『東京スタンピード』という小説を書いて、その恐怖をシミュレーションした。何が何でも敵が必要なのだ。この熱狂、止めることはできないかもしれないが、私はせめて近寄らないようにしよう。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-24 23:12 | 社会
 先週末は花粉のない土地へ逃れていた(案内してくださった方々に深く感謝しています)。帰りの飛行機が着陸するときは、まるで腐海に突っ込んでいくかのような気分になり、飛行機の中でマスクをした。たちまち意識が朦朧とする。
 この異様な暖冬のせいで、ブルーベリーが2月末に花を咲かせ始めてしまった。本来は4月ごろの予定なのだ。3月の前半は寒くなったので、蕾のまま中休みだったが、ここ数日の暖かさで開花ラッシュとなっている。困ったのは、ブルーベリーは自家受粉しにくく、異なる品種間で花粉のやりとりをしなくてはならないのだが(わが家のは「ブラッデン」と「ケープフィアー」)、ブラッデンだけ先に咲いてしまったことだ。仕方なくケープを2週間ほど家の中に入れて、何とかブラッデンに追いつかせた。今は両方がちょうどよく咲いている。ただ、マンションのため蜂が来ないから、毎日、私がせっせと刷毛で受粉させるという手間がかかる。去年、青い実が付いた状態で購入した株なので、今はまだ試行錯誤だ。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-20 22:06 | 身辺雑記
 民主党・小沢一郎代表の秘書が逮捕された。詳細はわからないが、このタイミング(給付金案の再可決、総選挙間近)での逮捕には、素人の私でさえ政治臭をぷんぷん嗅ぐことができる。これは、与党主導による国策捜査的なニュアンスがかなり強いのではないか。自民党はかつてもこの手法で、飛ぶ鳥を落とす勢いだった社民党の辻元清美代議士を叩き落とした、と私は思っている。
 ただ、小沢一郎氏は首相としてはどうなのか、私は疑問に思ってきた。健康問題もあるし、突然キレて放り出す癖もあるし、どうもイエスマンに囲まれすぎて外が見えていないようなところがあるし。自民党に代わる党が民主党であるなら、このタイミングで党首が交代するのも悪くはないのかもしれない。私は岡田元代表の復帰が望ましく思う。スタンドプレー好きの前原氏はいやだ。

 ところで、このところの鳩山邦夫人気には首を傾げざるを得ない。確かに、かんぽの宿をめぐる問題への態度は正しいと思う。中央郵便局の建物の存否も、何でも壊して再開発という、新自由主義的な発想はもう破綻しているのだから、考え直すのもありだろう。
 ただ、一連の鳩山邦夫総務大臣の言動を見ていると、はっきりした傾向があって、それは、民営化された郵政をできるだけ旧に復そう、という態度である。さらに言えば、世の中を小泉改革以前の姿に戻す、という指向である。それは、小泉改革がおかしかったからではなく、鳩山邦夫氏にとっては、代々鳩山家が作り上げてきた古きよき自民党政治を小泉氏が破壊したからであって、要するに、祖父ちゃん曾祖父ちゃん父ちゃんそれに俺たちが作ってきた現体制の世の中に一本たりとも指を触れることはまかりならん、と言っているようにすら私には思えるのである。だから、官僚政治が大好きで、公務員は大事な友だちで、同じ指向の麻生首相や福田前首相と仲がよい。
 小泉改革とは、古い既得権益層をぶっ壊し、新しい既得権益層に利権を引き渡す政治だった。それで、古い既得権益層の代表のような麻生首相や鳩山邦夫大臣が、小泉体制の破綻した今、揺り戻しを官僚と一緒になって行っているわけである。私から見ればどっちもどっちである。いずれにしても、利権が世の一般の人々に還元されることはない。だが、特に今、政治に求められているのは、集中した利権の再分配ではないのか? 麻生首相と大して変わらない鳩山邦夫氏のような人間の唱える世は、下々は名門に黙ってついてこればよいのだという、究極の身分社会でしかない。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-03 23:30 | 政治
 8日ぶりの快晴(関東南部)に強い北風で、杉花粉が猛威を振るう。私にとっては粉の台風が上陸したようなもの。恐ろしくて外へ出られない(こういう時は、引き籠もっていられる仕事でありがたいと思う)。重度杉花粉症の私は、この季節になると、ぐずついた雨模様の日よりも、晴れた日のほうが憂鬱になる。だから先週は、マスクもつけずに安心して外出できる日が続いて、気が休まった。今週もこの先はずっと雨か雪が続くそうで、お出かけ日和、「好天」の毎日を歓迎したい。
 去年も愚痴った気がするが、この無策、どうにかしてくれ。杉林を広葉樹などに植え替えると成長まで20年かかり難しい、とはよく言われることだが、私は杉花粉症歴20年以上である。あのころ植え替えていればどれだけ杉が減ったことだろう。目の前の改善だけ考えずに長い目で対策を立ててほしい。
 先日、ananで『水族』著者インタビューを受けたのだが、顔なじみのインタビュアーである瀧井さんに、「何だか、毎年寒い時期にインタビューしている気がするんですけど」とご指摘を受けた。実際その通りで、要するに私は冬に新刊を出すことがとても多いのだ(特に年明け)。意図しているわけではまったくなく、おそらく文芸誌の担当編集者に「年明けにはもう取りかかります」と約束して、春にせっせと書き、初夏に文芸誌に掲載されて、単行本化されるのがその半年ぐらい後、というサイクルに陥っているせいではないかと思う。このため、頭が朦朧としているからできれば仕事を避けたいと願っている花粉症の季節に、根を詰めて執筆するという結果になる。今年もしかり。来年の目標:この「輪廻」から解脱すること。
[PR]
by hoshinotjp | 2009-03-02 23:05 | 身辺雑記