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 今週末、9月26日(土)より10月9日(金)まで、渋谷のユーロスペースで、「キューバ映画祭」が開かれる。
 今回のは選りすぐりのラインナップで、ちょっとした集大成と言えるもの。どれも見応えがある作品ばかりだ。「低開発の記憶―メモリアス―」、「永遠のハバナ」、「苺とチョコレート」、「ルシア」などは、キューバ映画の基本中の基本の名作。熱いのに爽やかというキューバ社会の特質がよく伝わってきて、魅了されること間違いなし。
 上記の作品をもう見たという人には、「ある官僚の死」「12の椅子」が掘り出し物。キューバ映画の代名詞である、「低開発の記憶」「苺とチョコレート」を作った監督、トマス・グティエレス・アレアの代表作だが、日本では初公開。
 ガルシア=マルケスに関心のある人は、「コロンビアのオイディプス」「3つの愛の物語」などが必見。映画という観点からは、「彼女を見ればわかること」のロドリゴ・ガルシアのお父さんと言うべきなのか。「愛しのトム・ミックス」では、駆け出しのロドリゴ・ガルシアが撮影を担当している。
 見逃したら機会はなかなか訪れない作品ばかりなので、ぜひともユーロスペースへ出向くべし。
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by hoshinotjp | 2009-09-23 14:50 | 映画
 宮崎駿監督の映画『崖の上のポニョ』が、広島県福山市の鞆の浦(とものうら)という、とても風光明媚で居心地のよい小さな港町をヒントに作られたことは、よく知られている。宮崎監督は、たまたま訪れた鞆の浦を気に入り、ここに滞在して『ポニョ』を構想したのだという。
 その鞆の浦で問題となっているのが、湾をまたぐ橋を架けるかどうか。古くて小さい町ゆえ、交通の流れが悪く、それを解消すべく湾を横切るように橋を架ける案が浮上、工事寸前まで行っているのだ。これをめぐって、町の住民が賛成派・反対派に分かれて対立。架橋反対派は工事を差し止めるよう、広島地裁に訴えており、10月1日にその判決が出るという。(架橋問題については、「こちら」を見てください。あくまでもWikipediaですが)。
 判決を前に、宮崎駿監督が、この問題について読売新聞のインタビューで意見を述べている。架橋は住民の決めることという前提を崩さないながらも、控えめながら架橋を望まない旨を述べている。
『ポニョ』という作品にぞっこんの私だが、じつは『ポニョ』のことなど知らなかった2年前の秋、まったく関係ない文脈で鞆の浦を訪ねている。その静かで落ち着いたたたずまいには、すっかり魅了された。
 町のたたずまい。こんな風景が湾を囲む。クリックすると拡大します。
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 湾全景
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 中央部を拡大すると、
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 この写真のど真ん中を、上から斜め右下方向へと道路が横切ることになるのだ。
 帰りに鞆港から福山駅行きの路線バスに乗ったところ、この問題で、顔なじみの住民であるらしきバス運転手(反対派)と乗客(賛成派)が口論を始めたときは、問題の根深さを実感した。
 唐突だが、自殺が増えていることの背景には、個人が自分に価値を見いだせないという、尊厳の喪失がある。経済的な困窮や社会的な排除により、自分の存在に意味が見いだせなくなり、自分を痛めつけていく。鞆の浦の埋め立て架橋問題も、それと同じだと私には思える。生活のために橋を架けるべきなのか、景観を優先すべきなのか? いずれにしても、鞆の浦という町に住む者に、尊厳をもたらしはしない。鞆の浦という町、そしてそこに住む自分に、意味がある、役割があると思えることが、肝心だと思うのだ。日本全国で起こっているであろうこのような問題は、町や住人の「自死」問題だと私には感じられるのである。
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by hoshinotjp | 2009-09-21 18:43 | 社会
 Jリーグ、また審判が試合を壊した。首位争いの鹿島対川崎戦だったので、リーグそのものの意味を壊したといっても過言ではない。1-3で川崎リードの後半30分ごろ、豪雨のため岡田主審が試合を中断、30分後にゲームそのものが中止となった。何とルールによりノーゲーム、再試合となるのだそうだ(追記・再試合にするのかどうか、このゲームの扱いは15日に決めるそうだ)。
 雷が鳴っていたのなら仕方がない。けれども、ただの豪雨。確かにピッチは池状態で、ボールは転がっていなかったけれど、そんな中でゲームをすることなど、サッカーではごく普通のあたりまえのことではないか。雪のグラウンドでだってゲームは行われているのに、あの程度で白熱した好ゲームを中断したあげく、中止とは。せめて、1時間ぐらいは待ってもよかったのではないか。中止にするのは、選手か観客の健康をいちじるしく損なうような場合のみではないのか。観客の帰宅のことは観客に判断させればよい。フットボールを理解しないこの事態にあきれるばかりである。
 ルールもおかしいのではないか? 何年か前、リーガ・エスパニョーラで、ベティス対レアル・マドリードの試合が、照明の故障で前半のみで中断となり、後日後半のみが行われたことがあった。45分1本勝負となったため、両者冒頭からセーブをかけずに全力で打ち合い、ものすごいゲームとなったのを覚えている。たとえ15分だけでも、中断した部分からのゲームとすべきではないか。
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 8月は仕事と夏休みで、ほとんどこの日記を書けなかった。
 遅ればせながら、今日、サッカーのオランダ代表対日本代表の試合を録画で見る。結果を知らずに見たのだが、驚きの大変少ない内容で3-0の敗北。
 確かに前半は悪くなかったけれど、オランダが日本を脅威に感じたかというと、そうではないだろう。よくやったので手こずった、という程度ではないか。優勝候補になり得るチームとの対戦はいい経験にはなっただろうが、本当にこの経験が生かされるのかは、私は疑問だ。経験が生かされるようになるのは、こういう試合を何十何百と重ねた果てだろう。
 この日本代表が、これから劇的に変化するとは思わない。ワールドカップまでに積み重ねをして少し精度は上がるかもしれないが、ゴール前で相手の守りを待ってあげるかのようなのろい判断、相手が日本のサッカーに慣れてくると打開策を持たずに単調になり逆に押されていくパターン、そして押し切られてミスから失点するとそのまま失点を重ねて負けるメンタルの弱さ、といった弱点はこのチームでは克服できないように思える。なぜなら、それらは日本人に染みついた文化だからだ。これを変えるには、異文化が日本に入り込む必要があるのだが、残念ながら岡田監督はそのような異文化を体の中に持っていない。だから、オシム監督の時のような、何か見たこともないものが持ち込まれることで未知の領域を進んでいくようなことは起こらない。異文化との衝突がなければ、日本のサッカーを「日本化」することはできない。現状は「日本化」ではなく、ただ内輪化しているだけのような気がする。それは、Jリーグのレベル低下を見ても明らかだろう。
 でもサッカーはどんなことが起こるかわからないので、私はワールドカップ本番を悲観しているわけでもない。
 ところで今、別のワールドカップが行われ、日本チームも戦っている最中である。ミラノで行われている、ホームレス・ワールドカップである。日本代表は「野武士ジャパン」というニックネームで参加。今のところの戦績は6チームでの第1次グループリーグを1勝4敗で終えたところ。初戦、対ウェールズ戦は0-14で負け、2戦目のカザフスタン戦で3-0の初勝利をあげるも、南アフリカには1-17、ハンガリーに1-15、ナイジェリアに4-16と、やはり世界は厳しい。野武士ジャパンが参戦するのは2回目なのだが、まだまだサッカー文化が浅い日本、これからである。今日からは、グループを組み替えての第2次グループリーグが始まる。
 大会に向かうまでの様子はこちら。日本チームの試合結果はこちら(英語サイト)。
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