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 ライフリンク主催の「メメント・モリ」というイベントに行ってきた。20代30代の自殺率が増加を続けている現状を受け、何となく苦しさを抱えていたりする若い人たちが集まり、「死」をカジュアルに語り見つめられる場を作れたら、という思いで、ライフリンクの若者や大学生のサークルなどが立ち上げた企画だ。手探りなので、最初はぎこちないところもあったが、その思いは立ち見まで出るほどの会場中で共有されていたように感じた。
 ゲストとして語ったのは、女優の松田美由紀さん、二人組のミュージシャン「心音(しのん)」、桂城舞さん(「あのねの会」代表、自死遺児)。当初予定されていた内藤佐和子さん(難病東大生 著者/株式会社Yasasee代表取締役)は、体調を崩されて参加されなかったが、すばらしい文章を寄せてくださった。
 いろいろと心に響いた言葉はあったのだが、私に最も印象的だったのは、「主体的に動くことに関心がない/どうしたら主体的に動けるのかわからない若者に、どうしたらその楽しさを伝えることができるのか」という質問が、大学生から出たときだった。ライフリンクの清水康之さんが、家庭や学校で、同調し期待に応えることしか強いられてきていない人たちが、どうしたら主体的に生きればよいのかわからないのは、当然とも言える、と、現在の同調圧力が強烈な環境を説明しつつ、その中で何ができるのか、ゲストにひと言ずつ意見を求めた。
 桂城舞さんの答えに私は思わずうなずいた。「答えがないなら自分で探すべき。その方法としては、きらきらした大人のもとへ行け」。裏を返せば、「きらきらした大人」が身近にいないから、若い世代は主体的に生きる生き方を知らない、ということになる。つまり、「きらきらした大人」とは、主体的に生きている大人、である。子ども社会に登場する大人に、自分の意思を基準に生きている大人があまりにもいないのだ。モデルケースがないから、知らないだけなのだ。だったら、モデルケースを待たずに自分から探して、それに接すればいい。そして探せばモデルケースは存在している。桂城舞さんは実体験から、そう言っているのだ。
 女優やミュージシャンという、いわば自分の身を頼んで生きるゲストの方々には、そのようなモデルケース、あるいは自分の主体を認めてくれる大人が、存在していた。そのことが、身近な人の死を始めとする喪失体験を、正面から受け止める力を用意してくれた。私にはそのように見えた。特に、体張って生きている女優の生命エネルギーには圧倒された。これは松田美由紀さんのみならず、私が接したことのある女優さんに共通している。
 こういう話を若い人同士で気軽にできる場が、普通に存在すればいいと思う。そういうモデルケースに、このイベントはなっていたのではないだろうか。これが若い人たち自身の手作りであることに、私は楽観的な気分をもらった。
「メメント・モリ」はこの日が初回。第5回まで予定されています。
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by hoshinotjp | 2010-08-13 01:26 | 社会