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 権力は、金・暴力・人事という形で現れる。
 暴力を管理しているのは国家(のみ)で、例えば会社の中などでは暴力による支配は一応、成り立たないことになっている。けれど、家庭内など小さな共同体では、それが大きな権力の源泉となったりする。DVや幼児虐待など、アビューズがそれである。
 会社など、公共の組織の場合は、金と人事が権力を作る。予算配分を決める権限と、人事を決める権利である。人事については、人間関係の事情通であることも、権力を生む。
 日本社会の特徴は、この「人事」による権力が異常に肥大していることである。昨今の既存のメディア報道を見ていると、ほとんど人事の話ばかりだという気がしてくる。自民党政治は基本的に人事政治だったが(派閥だとか族議員だとか)、適材適所を掲げ、政策の側に重心を傾けるはずだった民主党も、今や完全に人事政治にハマっている。小沢問題がその大きなきっかけだった。だが、民主党の政治が人事政治へと落ちて行っている原因には、かれらの未熟さと同時に、この政治を見守っている有権者、そしてメディアの関心が人事ばかりに集中している、ということも大きい。
 海老蔵問題の呆れるほどの報道が落ち着いたのは、大桃美代子の話が飛び出したからだった。芸能情報というのも、一種の人事情報である。芸能ニュースがどんどんふくれあがっているという気がするのは、日本の世がますます人事社会化しているせいでもあろう。
 人事社会のなれの果てとは、いじめ社会である。理由なき力関係の序列だけをひたすら気にする社会。20代の若い人が書いてくる小説(プロでアレアマチュアでアレ)に、学校内の微細な序列とそれに怯え続けるサバイバルが描かれたものが非常に多いのは、そんなグロテスクな人事社会が極まっているからだろう。
 人事社会は、業界社会とも言い換えられる。あらゆる集団や組織、コミュニティが、業界化している世の中。学校でさえも。業界の中では、キャラを立てることによってようやく居場所が与えられる。そのキャラは、極端なフィクションである。キャラは他人のものであって、自分のものではない。つまり、自分のものではない人生を生きねばならない。仕事として。
 どの世界でも人事社会の要素は必ず存在しているが、自分の生を放棄せねばならぬほどに人間関係だけが存在理由になる今の日本社会は、行き着くところまで行ってしまっている。
 他人のことは気にしない。他人の存在を自分の存在の前提にしない。これらの姿勢は、今の日本社会で、社会生活を営む上で最も難しいことである。他人を前提にしている限り、自分が責任を取る主体になることができないのは、当然である。自分はそれに与しないという態度を取る人が増えれば、自然に解消されることなのだけど、そういう態度を取ることが極めて困難な社会なのだ。
 来年とは言わないが、強まり続けるこの傾向が、いつか飽和して弱まらんことを。
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by hoshinotjp | 2010-12-31 22:22 | 社会