浦和レッズ、年間初の王者。5人ものブラジル生まれブラジル育ちをそろえるチームなのだから、王者になるべくしてなった。でも、今期の内容には不満である。次第に守備的になり、退屈になっていった。結局はワシントン頼みだったし。ワシントンが家長だかのシャツを引っぱり倒してイエローカードをもらったとき、審判に懸命にお辞儀して謝っているのが可笑しかった。
 横浜FC、柏の昇格は順当。神戸には申し訳ないが上がってほしくない。楽天は何か勘違いをしているから。かつての黒白にユニフォームを戻したら上がれるかも。
 夜はつい、フィギュアNHK杯女子のフリーを見てしまう。浅田真央があまりに簡単にジャンプを飛ぶので、他の選手が鈍くさく見えてしまう。羽毛みたいにふわっと浮いて、くるくると回って、ふわっと着地する。来年オリンピックがあればよかったのに。
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 昨日、今日の雨で、紅葉した葉がたくさん落ちて地面にべったり貼りついている。
 どうもブログで書くと自分の文章という気がしないのはなぜだろうか。やはりもとの形式の日記に戻すかもしれない。
 自民党の復党のニュースにうんざり。なぜこんな一組織の内部事情のニュースを延々と見聞きせねばならないのか。郵政民営化解散といって選挙をしたのだから、次の選挙まではその体制でいくのが筋だろう。復党させるなら選挙をして有権者の意を聞くべきだ。そういうことを主張しているメディアが少なくて、復党の条件のことばかり報じている。各メディアが自民党の一機関にさえ見えてくる。参議院自民党も、「さっさと決めないから、復党反対の世論を煽った」と中川幹事長を批判しているが、世論が気づかないうちに復党させるべきだったと公然と言っているようなものだ。郵政民営化解散で盛りあがった有権者は、怒るべきである。私は、郵政民営化解散などということ自体が成立しないと思うけれど。
 こういうゴタゴタが安倍内閣支持率を下げる原因の一つ、と分析している人が多い。関係なくはないと思うけれど、私が思うに、「期待はずれだ」と思っていた有権者たちの「期待」の内容は、安倍首相にもっと毅然とした態度を取ってほしかった、ということではないか。つまり、例えば外交なら、中国や韓国の首脳と会談して曖昧に譲歩するのではなく、強い態度で臨んでほしい、ということではないか。核武装論議についても同様だろう。「有権者は劇場型政治が恋しいのではないか」という支持率低下についての御厨貴のコメントに同感である。何でもいいから、ビシッと言って、自分たちをスカッとさせてほしいのだろう。
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# by hoshinotjp | 2006-11-28 23:36 | 政治
 教育基本法の改正案が衆院を通過したが、各種世論調査でも改変への賛成者のほうが多数を占める現在、これを止めることは難しい。経済的社会的格差が開く一方の日本で、2代3代に渡って既得権益を蓄積してきた今の政治家たちが、その権益をさらに盤石なものにするためにも、教育基本法を変えようと欲望しているのははっきりしているものの、それだけで改変が可能になるわけではない。世論の支持があるからできるのである。履修漏れ問題やらいじめ自殺問題などで、教育を正さねば、という気分が高まり、それが安直に教育基本法改正賛成へと結びついているのだろうが、さらにその底を流れる気分を探ると、自分が自分であることを声高に言いたい、自分は日本人だ、中韓にナメられてたまるか、といった衝動があるように私には感じられる。この衝動は、この社会を覆い尽くしている排除のメンタリティ、つまり「いじめ」の衝動と同じ衝動だ。誰かを叩くことで、「我々」の一員であることを確認して安心する、というメンタリティ。
 この衝動は、私の中にも潜んでいる。つまり、誰か極悪の権力層のせいだけで、問題が起こっているわけではないということだ。各人が、この衝動に正面から向き合って、自覚し、衝動を解消するためにどうしたらいいのか考えない限り、いじめも、社会のタカ派化(繰り返すが、それらは同じ現象だ)も、エスカレートする一方だろう。歯止めはそれぞれの個人の中にしかない。誰かのせいにしてバッシングするのではなく、まさに自分自身の問題だという実感を持つことから始めるほかない。
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# by hoshinotjp | 2006-11-18 23:43 | 政治
 いじめ(恐喝)のあった小学校の校長が自殺した。このひと月で何人の校長が自殺しただろうか。これが下の世代にとって最も身近な生き方のモデルケースとなることを、社会はよく認識しておくべきだ。
 今のいじめをめぐる報道や対応は、それそものもがいじめと似たようなメンタリティによって動いているようにさえ感じられる。世の多くが流れる方向にみんな一斉に流れ、同じようなコメントをし、誰かをスケープゴートに祭りあげて「けしからん」とぶっ叩く。何度も言うけれど、いじめ的な、集団による排除という処世術しか、今の日本社会は知らないかのようだ。それを根本から変えるには、個々人がそれ以外の生き方もありうることを身をもって示そうと努めるしかない。
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# by hoshinotjp | 2006-11-12 22:23 | 社会
 Jリーグは浦和レッズが頭一つ抜けだす。でも面白いサッカーとは言えない。川崎のほうが見ていてスリリング。この両チームで最後まで争ってほしいところだったが、川崎は東京に4-1から何と逆転負け。弱いのか強いのかわからないFC東京は、台風の目となっている。
 夜、ちょっと女子バレーを見てしまったら、目が離せなくなった。全勝のセルビア・モンテネグロにまさかの逆転勝ち。手に汗握る。こうなると、世界の強豪がどれほど強いのか知りたくなる。けれど、イタリア対セルビア・モンテネグロとか、ブラジル対ロシアとか、真の好カードは放映がないようだ。いわば、サッカーのワールドカップで、イタリア対ブラジルといった試合を放映しないようなものだ。つまり視聴者は世界のレベルを知らずに、ひたすら日本を応援させられるというわけだ。これでは日本のバレーボールはまだまだ強くなりきれないだろうな。
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 「いじめ」問題がエスカレートし、問題の本質から離れていっている。伊吹文科大臣宛に自殺予告の手紙が届いたとき、メディアはこんなに巨大に報道していいのだろうかと私は不安になったが、今日、2件目の自殺予告の手紙が届いた。また、いじめの現場を録画しネットで流していた高校に、抗議の電話を2チャンネルが呼びかけたところ、その高校が今日電話攻めにあったという。
 自殺予告が本当に切羽詰まってのものか、あるいはイタズラか、いずれにしても一種の悪乗りであり、歯止め無くエスカレートする悪意の発露であり、「いじめ」という現象に根本的に取り組むという姿勢からは最もかけ離れた態度である。
 こういった行為に歯止めが掛けられないのは、例えば履修漏れ問題で相変わらず校長が自殺するだとか、談合などの汚職が発覚すると県幹部が自殺するといった「実例」が後を絶たないからだ。彼らの行為は自殺をしてよいというメッセージになり、死ねば校長という地位と引き換えに本当は負うべき責任を果たさなくてよいとGOサインを出しているようなものだ。ここで歯止めとして必要な「信用」というものが、むしろなし崩しにされていく。悪意に対し、つけ込む余地をせっせと提供しているようなものである。
 この連鎖はもう少し続くだろう。やがて飽和すると、忘れられていくのだろう。肝心のいじめの構造には少しも踏み込まれないままに。そうやって、誰からも関心を向けられないままいじめが続くという状態が再び繰り返され、事態は秘かに悪化していくのだろう。オウム事件以降、この社会は反省という行為を忘れたようだ。
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# by hoshinotjp | 2006-11-09 23:25 | 社会
 これまでブログにはあえて手を出さないようにしてきたのだが、いくつかの理由があって、日記をブログで書いてみることにした。しばらく続けてみて、居心地が悪かったらもとの形式に戻すかもしれない。書いた文章のデータが手元のパソコンに残らないというのは、どこか不安である。何年かして、このブログの提供先が急にサービスを中止したら、引っ越しをするのにえらい労力がかかる。でもそういう感覚自体が古いのかもしれない。

 新刊「われら猫の子」が刷りあがった。私の本の装幀でも1、2を争うよい出来ではないか。装画は藤田嗣治の「猫の教室」。この絵がいいのでは、と表題作を書いたときに教えてくれたのは、作家の松浦理英子さんである。6年たってようやく実現できた。
 そして、この絵を素晴らしい文字のデザインで引き立ててくださったのが、菊地信義氏。さすが文字の人である。絵と文字の拮抗にただただ感嘆するばかりだった。
 短篇集を出すのは初めてである。あちらこちらの媒体に書いたものだから、どうやってまとめられるのかわからず、放置していたら、最初にオファーをくださったのが講談社の柴崎さんだった。ただ、その結果、「新潮」や「文藝」の担当者には申し訳ないことになった。こんな思いはもう嫌なので、今後は単行本のことを考えながら書いていくつもりだ。
 作品は書いた年代順に収録した。これは柴崎さんの提案であり、こうすると個人史にもなるし、変遷も見えて面白いという。私もそう思ったので、このように並んだ。個人的に思い入れの強い作品は、「われら猫の子」「ててなし子クラブ」「エア」だろうか。
 短篇は私の作品の中では比較的読みやすい(特に上記の三作品は)ので、とっかかりにはうってつけの本だと、私は思っている。
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# by hoshinotjp | 2006-11-07 23:19 | お知らせ