2008年 11月 16日
2008年11月16日(日) |
◆もっと暑苦しく◆
前回に続き、十月頭にソウルで行われた「韓・日・中 東アジア文学フォーラム」の話題。
事前に「竹島/独島問題についてメディアから尋ねられる可能性あり」と聞かされていたので、私は答えを用意していった。それは、世宗(セジョン)大学教授の朴裕河(パクユハ)さんがその著作『和解のために』(平凡社)で説いている、双方の友好の象徴として共同統治にしてはどうか、という考えに賛同する、というものだった。
結局、この話題に触れられることはなく、私はどこかでほっとしていた。しかし、フォーラム中、当の朴裕河さんに初めてお目にかかり、ゆっくりとお話しするうち、私は自分を恥じることになる。
日韓の作家交流の原点である一九九二年の「日韓文学シンポジム」に創設時から関わっている朴さんは、この交流の場を、たんに友情を確かめ合うだけではなく、日韓の間に摩擦が起きたときにこそ立ちあがって何らかの意思表示をし合う集まりに成熟させたい、とおっしゃったのだ。
この言葉を聞いたとき、私も心の奥底では、親しい韓国作家たちと、例えば竹島/独島問題について率直に話したかったのだと気がついた。
なぜ信頼を築くかといえば、絆が壊れそうな危機を迎えたとき、きちんと踏み込んだ対話をすることで、それを乗り越えるためである。居心地のよい関係を崩したくないがために踏み込まないのであれば、それは本末転倒だ。
国家や文化間の対立に巻き込まれないために、私は韓国の友人たちに対して、もっと暑苦しくなりたいと思う。
(東京新聞 2008年10月17日付夕刊1面「放射線」)
前回に続き、十月頭にソウルで行われた「韓・日・中 東アジア文学フォーラム」の話題。
事前に「竹島/独島問題についてメディアから尋ねられる可能性あり」と聞かされていたので、私は答えを用意していった。それは、世宗(セジョン)大学教授の朴裕河(パクユハ)さんがその著作『和解のために』(平凡社)で説いている、双方の友好の象徴として共同統治にしてはどうか、という考えに賛同する、というものだった。
結局、この話題に触れられることはなく、私はどこかでほっとしていた。しかし、フォーラム中、当の朴裕河さんに初めてお目にかかり、ゆっくりとお話しするうち、私は自分を恥じることになる。
日韓の作家交流の原点である一九九二年の「日韓文学シンポジム」に創設時から関わっている朴さんは、この交流の場を、たんに友情を確かめ合うだけではなく、日韓の間に摩擦が起きたときにこそ立ちあがって何らかの意思表示をし合う集まりに成熟させたい、とおっしゃったのだ。
この言葉を聞いたとき、私も心の奥底では、親しい韓国作家たちと、例えば竹島/独島問題について率直に話したかったのだと気がついた。
なぜ信頼を築くかといえば、絆が壊れそうな危機を迎えたとき、きちんと踏み込んだ対話をすることで、それを乗り越えるためである。居心地のよい関係を崩したくないがために踏み込まないのであれば、それは本末転倒だ。
国家や文化間の対立に巻き込まれないために、私は韓国の友人たちに対して、もっと暑苦しくなりたいと思う。
(東京新聞 2008年10月17日付夕刊1面「放射線」)
by hoshinotjp
| 2008-11-16 23:41
| 文学

