2009年 10月 01日
2009年10月1日(木) |
先日、お知らせしたキューバ映画祭。弾け飛んだ作品の連続で、度肝を抜かれっぱなしだ。
まずトマス・グティエレス・アレアの「ある官僚の死」。埋葬した叔父の遺体を、官僚的な手続きのために、掘り返したり、今度は埋め直そうとしたら、手続きが間違っているということで埋められなくなったりと、滑稽などたばたが続く。不条理で笑えて主人公が気の毒で、カフカみたいな世界だけど、よくよく考えれば、日本の年金制度もこれとまったくおんなじじゃないか、と思い当たる。
続いて「12の椅子」。キューバ革命で屋敷も財産も没収された元富豪が、自分の叔母が12脚の椅子のうち1脚の中に宝石類を隠していたことを知り、たまたま再会した元使用人とともに、その椅子を探し求める。競売で離散した椅子を探してキューバ各地を渡り歩くという、一種のロードムービー。元使用人が、うさんくさくかつお調子者のやり手で、世間知らずの元富豪と珍道中を繰り広げる。革命直後のキューバの町や田舎の風景がすごく色気に満ちている。間違いなく楽しめる一本。
いずれの2本とも、歯に衣着せぬ態度で行政をも批判するような作品で、キューバでもこんな作品を撮れたのか、と驚く。革命後のキューバはじつは何でもありだったのだ、と再認識させてくれる。アレナスもそうだったし。
ガルシア=マルケスの脚本教室から生まれた作品「愛しのトム・ミックス」、これもぶっ飛んでいて元気になれる作品。私は公開時にメキシコで見ていたが、まさか日本でも見られることになろうとは思いもしなかった。一種の「ドン・キホーテ」ものと言おうか。舞台は20世紀初頭のメキシコの小さな町。初老のおばさんホアキーナは、町の映画館でかかる西部劇「トム・ミックス」シリーズを愛するあまり、いつかトム・ミックスに略奪されてこの閉塞した老後から救い出され冒険に出ることを夢見て、しばしばトム・ミックスの気配を幻視している。一方、町には初老のカーボーイふうの男が流れて住み着く。何者かはわからない。ただ、体にはガタが来ていて、銃も投げ縄ももはや手につかない。ある日、非情な盗賊団が町を襲う。なすすべもない中、トム・ミックスが救出に来てくれると信じたホアキーナは表へ飛び出し、俺の出番だとばかり武装した流れの男も飛び出し、町の男たちは自警団を組織して乗り出し、入り乱れてしっちゃかめっちゃかの対決が始まる。
ホアキーナと流れ者を演じるのは、メキシコとアルゼンチンの名優。ご都合主義のファンタジーなのに、見ているととてつもなく愉快な気分になって、終わりのほうはもう自分でもよくわからずじーんと涙ぐんだりしている。「12の椅子」や「ある官僚の死」もそうだが、話はぶっ飛んでいてめちゃくちゃなのに、そこに流れる感情はすごくリアルで生々しくて血が通っているのだ。だから大ボラなのに嘘くさくない。
「コロンビアのオイディプス」は、ガルシア=マルケス書き下ろしの脚本を映画化したもの。内容自体は思い切りマルケスの世界である。タイトル通り、物語はオイディプスそのもの。ゲリラとの内戦の最前線にある村で、村長として赴任した若い男は、高潔な正義感を持って停戦を実現させようとするが、内戦の現実に深入りして行くに従い、恐るべき真実を探り当てていく。マルケスの小説「予告された殺人の記録」やマルケス脚本の映画「死の時」などと共通する、神話的な運命の世界が好きな人は必見。ブニュエル映画のキーパーソンだったフランシスコ・ラバル(「ナサリン」の神父)が、ものすごい怪演を見せる。やはりブニュエルに見いだされたアンヘラ・モリーナ(「欲望の曖昧な対象」)も準主役で、その演技に私は度肝を抜かれた。
以上は、この映画祭でないと絶対見られないであろう異色作なので、ぜひともこの機会を逃さぬよう。東京以外での上映の予定もあって、映画祭を一人で主催している(それ自体がすごい!)アクション・インクの比嘉さんのブログによると、
「名古屋シネマテークで10/31(土)から。
詳細は現在、調整中ですので、決定次第、
お知らせいたしますね~。
予定としては、
京都シネマ(12月予定)
大阪第七藝術劇場(時期未定)
神戸アートビレッジセンター(詳細未定)」
とのこと。お楽しみに。
まずトマス・グティエレス・アレアの「ある官僚の死」。埋葬した叔父の遺体を、官僚的な手続きのために、掘り返したり、今度は埋め直そうとしたら、手続きが間違っているということで埋められなくなったりと、滑稽などたばたが続く。不条理で笑えて主人公が気の毒で、カフカみたいな世界だけど、よくよく考えれば、日本の年金制度もこれとまったくおんなじじゃないか、と思い当たる。
続いて「12の椅子」。キューバ革命で屋敷も財産も没収された元富豪が、自分の叔母が12脚の椅子のうち1脚の中に宝石類を隠していたことを知り、たまたま再会した元使用人とともに、その椅子を探し求める。競売で離散した椅子を探してキューバ各地を渡り歩くという、一種のロードムービー。元使用人が、うさんくさくかつお調子者のやり手で、世間知らずの元富豪と珍道中を繰り広げる。革命直後のキューバの町や田舎の風景がすごく色気に満ちている。間違いなく楽しめる一本。
いずれの2本とも、歯に衣着せぬ態度で行政をも批判するような作品で、キューバでもこんな作品を撮れたのか、と驚く。革命後のキューバはじつは何でもありだったのだ、と再認識させてくれる。アレナスもそうだったし。
ガルシア=マルケスの脚本教室から生まれた作品「愛しのトム・ミックス」、これもぶっ飛んでいて元気になれる作品。私は公開時にメキシコで見ていたが、まさか日本でも見られることになろうとは思いもしなかった。一種の「ドン・キホーテ」ものと言おうか。舞台は20世紀初頭のメキシコの小さな町。初老のおばさんホアキーナは、町の映画館でかかる西部劇「トム・ミックス」シリーズを愛するあまり、いつかトム・ミックスに略奪されてこの閉塞した老後から救い出され冒険に出ることを夢見て、しばしばトム・ミックスの気配を幻視している。一方、町には初老のカーボーイふうの男が流れて住み着く。何者かはわからない。ただ、体にはガタが来ていて、銃も投げ縄ももはや手につかない。ある日、非情な盗賊団が町を襲う。なすすべもない中、トム・ミックスが救出に来てくれると信じたホアキーナは表へ飛び出し、俺の出番だとばかり武装した流れの男も飛び出し、町の男たちは自警団を組織して乗り出し、入り乱れてしっちゃかめっちゃかの対決が始まる。
ホアキーナと流れ者を演じるのは、メキシコとアルゼンチンの名優。ご都合主義のファンタジーなのに、見ているととてつもなく愉快な気分になって、終わりのほうはもう自分でもよくわからずじーんと涙ぐんだりしている。「12の椅子」や「ある官僚の死」もそうだが、話はぶっ飛んでいてめちゃくちゃなのに、そこに流れる感情はすごくリアルで生々しくて血が通っているのだ。だから大ボラなのに嘘くさくない。
「コロンビアのオイディプス」は、ガルシア=マルケス書き下ろしの脚本を映画化したもの。内容自体は思い切りマルケスの世界である。タイトル通り、物語はオイディプスそのもの。ゲリラとの内戦の最前線にある村で、村長として赴任した若い男は、高潔な正義感を持って停戦を実現させようとするが、内戦の現実に深入りして行くに従い、恐るべき真実を探り当てていく。マルケスの小説「予告された殺人の記録」やマルケス脚本の映画「死の時」などと共通する、神話的な運命の世界が好きな人は必見。ブニュエル映画のキーパーソンだったフランシスコ・ラバル(「ナサリン」の神父)が、ものすごい怪演を見せる。やはりブニュエルに見いだされたアンヘラ・モリーナ(「欲望の曖昧な対象」)も準主役で、その演技に私は度肝を抜かれた。
以上は、この映画祭でないと絶対見られないであろう異色作なので、ぜひともこの機会を逃さぬよう。東京以外での上映の予定もあって、映画祭を一人で主催している(それ自体がすごい!)アクション・インクの比嘉さんのブログによると、
「名古屋シネマテークで10/31(土)から。
詳細は現在、調整中ですので、決定次第、
お知らせいたしますね~。
予定としては、
京都シネマ(12月予定)
大阪第七藝術劇場(時期未定)
神戸アートビレッジセンター(詳細未定)」
とのこと。お楽しみに。
by hoshinotjp
| 2009-10-01 16:11
| 映画