2010年 01月 02日
2010年1月2日(土) |
明けましておめでとうございます。
エッセイを書いた雑誌「東京人」の2月号が届いたので、ぱらぱらとめくっていたら、妙な写真に目を引かれた。飲み屋の料理やスナップ写真なのだが、少しも上手くないのである。ピントがボケていたり、手ぶれで二重三重に写っていたり、料理によってはそれが何なのかよくわからなかったり。なのに、何だか心動く。
何だこれはと、記事を見たら、何と、角田光代さんが文章を書き写真を撮った「西荻窪 酒日記」だった。この号の特集「横町のうまい店」の、目玉である。よく見れば、表紙も角田さんが路地の飲み屋で酒を飲んでいる写真だ。
打ちのめされました。同じ価値を持つ写真ですが、何か? と言われているみたいだった。別にヘタウマというわけでもないし、わざと狙って外しているというのでもない。たんに、写真を撮りたいと思って撮ったらこうなったという感じなのだ。
角田さんの写真を見てからページをめくると、他のページにも、プロ写真家の撮った「横町のうまい店」のスナップや料理写真がたくさん載っているのだけど、それらがとても空っぽに見えてしまった。それらは、正しく上手い写真で、どれもきちんとした形式に則っていて、我々が普段見る「プロの写真」のイメージどおりの写真だ。だから、どれも同じに見えてしまう。どれも、形式でしかないように見えてしまう。むろん、自由な作品と違って、商業誌の要請する形式に従っているのでもあるのだろうけれど。
たぶん、角田さんの写真でなくたって、素人が心の赴くままに撮った写真を並べれば、逆に異彩を放つのかもしれない。とにかく、角田さんの写真は、楽しそうだった。だから、美味しそうだった。角田さんからいただいた年賀状の猫の写真も、どアップで顔にはピントが合っていないのに、すごく猫が伝わってくるものだった。
自分の名前で仕事をしている人間は、自分のイメージを落とすことを内心ですごく恐れている。だから、いいところばかり見せようとする(特に男性は)。その場合の「いいところ」とは、世間がすごいと思ってくれるだろという価値観に基づく。
角田さんの写真は、そうではなかった。世間ではなく、自分がいいと思っているところを見せようとしている。これは楽しいだろう。自分の呪縛されている価値観を考え直した日記でした。
エッセイを書いた雑誌「東京人」の2月号が届いたので、ぱらぱらとめくっていたら、妙な写真に目を引かれた。飲み屋の料理やスナップ写真なのだが、少しも上手くないのである。ピントがボケていたり、手ぶれで二重三重に写っていたり、料理によってはそれが何なのかよくわからなかったり。なのに、何だか心動く。
何だこれはと、記事を見たら、何と、角田光代さんが文章を書き写真を撮った「西荻窪 酒日記」だった。この号の特集「横町のうまい店」の、目玉である。よく見れば、表紙も角田さんが路地の飲み屋で酒を飲んでいる写真だ。
打ちのめされました。同じ価値を持つ写真ですが、何か? と言われているみたいだった。別にヘタウマというわけでもないし、わざと狙って外しているというのでもない。たんに、写真を撮りたいと思って撮ったらこうなったという感じなのだ。
角田さんの写真を見てからページをめくると、他のページにも、プロ写真家の撮った「横町のうまい店」のスナップや料理写真がたくさん載っているのだけど、それらがとても空っぽに見えてしまった。それらは、正しく上手い写真で、どれもきちんとした形式に則っていて、我々が普段見る「プロの写真」のイメージどおりの写真だ。だから、どれも同じに見えてしまう。どれも、形式でしかないように見えてしまう。むろん、自由な作品と違って、商業誌の要請する形式に従っているのでもあるのだろうけれど。
たぶん、角田さんの写真でなくたって、素人が心の赴くままに撮った写真を並べれば、逆に異彩を放つのかもしれない。とにかく、角田さんの写真は、楽しそうだった。だから、美味しそうだった。角田さんからいただいた年賀状の猫の写真も、どアップで顔にはピントが合っていないのに、すごく猫が伝わってくるものだった。
自分の名前で仕事をしている人間は、自分のイメージを落とすことを内心ですごく恐れている。だから、いいところばかり見せようとする(特に男性は)。その場合の「いいところ」とは、世間がすごいと思ってくれるだろという価値観に基づく。
角田さんの写真は、そうではなかった。世間ではなく、自分がいいと思っているところを見せようとしている。これは楽しいだろう。自分の呪縛されている価値観を考え直した日記でした。
by hoshinotjp
| 2010-01-02 22:07
| 文学