2007年 04月 21日
2007年4月21日(土) |
明日は統一地方選後半の投票日。私が注目しているのは、中野区議選挙と杉並区議選挙です。私自身はその地域の有権者ではないけれど、気になる候補者がいるのです。
まず中野区議選では、石坂わたるさん(無所属)。擁護学校の教員という立場、またゲイであることを自ら明らかにしている立場から、さまざまなマイノリティとマジョリティの共存に取り組んでいる人です。詳しくは石坂わたるさんのサイト(こちらも)を見てください。
議会とは、同じような立場と利害の人が集団となってその集団の利益のために政治を行う場ではなく、それらが異なる者たちが一堂に会して、同じ社会に住む以上、利害の調整をするために知恵を出し合う場です。そして、首長の指揮する政府をチェックする機関でもあります。わたるさんのような人が議員になると、議会が本来の役割を取り戻すように私には思えるわけです。
もう一人の注目、杉並区議に立候補しているのは、あおと功英(こうえい)さん(社民党)。青砥君、と呼びたくなるのは、私が2002年に早稲田大学の第二文学部で授業を持っていたときの学生だからです。単に自分の学生だったから注目しているわけではなく、彼のブログを読んで大変共感したからです。学生時代にはおよそ政治の世界に行くとは思えなかったあおとさんを、政治の場に押し出したのは、切り捨てられ放置されている同世代の人間たちとのつき合いのようです。慶應の経済に入学し、準体育会系の部で子どものころからのライフワークである野球をするも、将来勝ち組を約束された者たちの「あたりまえ」についていけず、早稲田の二文に入ってきたあおとさんは、目線が社会の低い部分にいつもあります。彼の書いたレポートは今でも覚えていて、私がこのサイトでもたびたび紹介する岡村淳さんの生き方についてでした。あおとさんは、岡村さんの生きざまと作品に激しく共振しているのでした。レポートの中には、ちょっと問題だなと思う部分もありましたが、現在のブログを読んで、彼がさらに経験を広げ、視野や考えが深くなっているのを知りました。
社民党からの立候補というのも、ちょっとびっくりしました。しかし、これも彼のブログを読むうち、よく理解できました。例えば、私は今の社民党にあまり期待を持ってはいませんが、それでももし政党に入って議員に立候補しなくてはならないとしたら、仕方なく社民党を選ぶでしょう。あおとさんは、社民党の異端児を自称しています。でもこれは事実で、選挙用のキャッチコピーだけではないと思います。よい意味で、社民党を壊してくれるかもしれません。なぜなら、あおとさんはノンポリだからです。彼には、社会の中で変えたいことがあり、それは政治的にしか変えることができず、そのために政策面から何とかしようと議員に立っているのであって、おそらく旧来の社民党的な常識はほとんど理解も共有もしないでしょう。でもそういう人が社民党に増えたら、私はもっと期待を持ちたくなると思います。
夕張市の破綻は、日本全国ほとんどの自治体にとって、他人事ではありません。財政が健全で余裕のある自治体などほとんどないでしょう。破綻するということは、住民は「お上」に頼れないということです。税金を払っているのだから各種行政サービスを受けて当然だ、という前提が崩れるのです。税金はよりたくさん払わねばならないのに、行政サービスは乏しく、住民は自分でどうにかしなくてはなりません。
自分が住んでいる一番身近な地方自治体の政治は、じつは住民にとって最大の死活問題なのです。まともな行政を持てるかは、住民自身の責任だと思います。
まず中野区議選では、石坂わたるさん(無所属)。擁護学校の教員という立場、またゲイであることを自ら明らかにしている立場から、さまざまなマイノリティとマジョリティの共存に取り組んでいる人です。詳しくは石坂わたるさんのサイト(こちらも)を見てください。
議会とは、同じような立場と利害の人が集団となってその集団の利益のために政治を行う場ではなく、それらが異なる者たちが一堂に会して、同じ社会に住む以上、利害の調整をするために知恵を出し合う場です。そして、首長の指揮する政府をチェックする機関でもあります。わたるさんのような人が議員になると、議会が本来の役割を取り戻すように私には思えるわけです。
もう一人の注目、杉並区議に立候補しているのは、あおと功英(こうえい)さん(社民党)。青砥君、と呼びたくなるのは、私が2002年に早稲田大学の第二文学部で授業を持っていたときの学生だからです。単に自分の学生だったから注目しているわけではなく、彼のブログを読んで大変共感したからです。学生時代にはおよそ政治の世界に行くとは思えなかったあおとさんを、政治の場に押し出したのは、切り捨てられ放置されている同世代の人間たちとのつき合いのようです。慶應の経済に入学し、準体育会系の部で子どものころからのライフワークである野球をするも、将来勝ち組を約束された者たちの「あたりまえ」についていけず、早稲田の二文に入ってきたあおとさんは、目線が社会の低い部分にいつもあります。彼の書いたレポートは今でも覚えていて、私がこのサイトでもたびたび紹介する岡村淳さんの生き方についてでした。あおとさんは、岡村さんの生きざまと作品に激しく共振しているのでした。レポートの中には、ちょっと問題だなと思う部分もありましたが、現在のブログを読んで、彼がさらに経験を広げ、視野や考えが深くなっているのを知りました。
社民党からの立候補というのも、ちょっとびっくりしました。しかし、これも彼のブログを読むうち、よく理解できました。例えば、私は今の社民党にあまり期待を持ってはいませんが、それでももし政党に入って議員に立候補しなくてはならないとしたら、仕方なく社民党を選ぶでしょう。あおとさんは、社民党の異端児を自称しています。でもこれは事実で、選挙用のキャッチコピーだけではないと思います。よい意味で、社民党を壊してくれるかもしれません。なぜなら、あおとさんはノンポリだからです。彼には、社会の中で変えたいことがあり、それは政治的にしか変えることができず、そのために政策面から何とかしようと議員に立っているのであって、おそらく旧来の社民党的な常識はほとんど理解も共有もしないでしょう。でもそういう人が社民党に増えたら、私はもっと期待を持ちたくなると思います。
夕張市の破綻は、日本全国ほとんどの自治体にとって、他人事ではありません。財政が健全で余裕のある自治体などほとんどないでしょう。破綻するということは、住民は「お上」に頼れないということです。税金を払っているのだから各種行政サービスを受けて当然だ、という前提が崩れるのです。税金はよりたくさん払わねばならないのに、行政サービスは乏しく、住民は自分でどうにかしなくてはなりません。
自分が住んでいる一番身近な地方自治体の政治は、じつは住民にとって最大の死活問題なのです。まともな行政を持てるかは、住民自身の責任だと思います。
by hoshinotjp
| 2007-04-21 18:46
| 政治