2007年 03月 03日 ( 1 )

 私の長篇『ロンリー・ハーツ・キラー』は、いわば現代の「堕落論」とも言える。小説の最後のフレーズはそのように受け取ってほしい。
 では何からの堕落か?
 第1章では、語り手たち神隠しあった者らは、ある啓示を得る。霊的な超越者との一体感といおうか。それは流行りの言葉で言えば、「美しい国」である。その啓示に従って語り手たちは、「美しい国」の住人となるべく、個人である自分を捨てる。
 第2章以降に主役となるのが、「美しい国」の住人になる資格を最初から与えられていない者たちである。「美しい国」がじつは周到な排除のうえに成り立っていることが、最初から弾かれている者たちの目に映る光景として、明らかにされていく。しかも、突きつめるほど、「美しい国」を信じた者たちを含め、じつは誰も住人となる資格など持っていないことがわかってくる。
 では「美しい国」をどうしたらいいのか? そんなものは本当にあるのか。
 そこで「堕落論」の登場である。「美しい国」などどこにもないのだ、排除を謳う啓示とは幻影に過ぎないのだ、誰もがそこから排除されているのが「美しい国」なのであれば、排除された者たちの溜まり場たる現世へ立ち返って、目を覚ます以外に居場所はない。
 その意味で、『ロンリー・ハーツ・キラー』は、「美しい国」から下りよ堕ちよ、と呼びかける書である。
 むろん、『ロンリー・ハーツ・キラー』には、「美しい国」という貧しい言葉などどこにも出てこない。啓示としてある以上、それだけの強さと喚起力のあるヴィジョンとして登場する。1章の語り手たちがまがりなりにもその世界へ飛び込んでいこうとするだけの、道理と強い磁力のあるヴィジョンとしたつもりだ。
 そんなことを、近々文庫化されるためのゲラを読み直しつつ、考えたのだった。
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by hoshinotjp | 2007-03-03 18:35 | 文学