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2009年 07月 28日 ( 1 )

 ファッション誌のマリ・クレールが今発売の9月号で休刊する。その最後の号が文学特集で、私は20枚の幻想的な短篇小説「桜源郷」を書いた。日本文学の好きな小説を翻案するという企画で、私は坂口安吾の「桜の森の満開の下」を選び、私っぽい小説に書き換えた。こういう企画はひたすら楽しい。
 それにしても、80年代から90年代を支えた、いわゆるアートの香りのする雑誌がここのところ次々と廃刊している。エスクァイア、STUDIO VOICE、マリ・クレール、広告批評、TITLE、クレアももうなかったんだっけ? こないだ書いたとたん廃刊というのでは、「フォーブズ日本版」や「PLANTED」もそう。
 一部の作家をのぞけば、大半の作家は小説の原稿料・印税だけでは食えないので、ほかの文章による原稿料が収入のそれなりの割合を占めている。雑誌の廃刊が相次ぐということは、収入源の消滅という意味でも、作家にとって厳しい事態である。
 だが、より厳しいのは、それらの媒体で活躍していたフリーのライターやエディターだろう。アートに強いライターは、多くの雑誌にまたがって取材・執筆をしており、私もそのようなライターとのつながりで、初めての媒体のインタビューなどを受けたりもしている。
 それら書き手たちにとって、これらの雑誌の廃刊は死活問題である。なぜなら、では雑誌が消えた分、ネットで書くことが増えるのかというと、そうでもないからだ。
 上記のような雑誌が担っていた文化情報の流通という役割を、果たしてネットは担えるのだろうか? 商業的な思惑を考慮しながらも、受け手に何が魅力の核心であるかをきちんと伝えられるプロの書き手たちがおらずに、価値ある情報はネット上に流れるのだろうか? ただひたすら広告でしかない情報と化してしまうのではないだろうか。
 フリーライターとは、それらアートの商業的な側面と、文化的な側面とをつなぐ、翻訳者であるとも言える。ネットでは、その媒介力が消え、商業的側面へと特化されていくような気がしてならない。
by hoshinotjp | 2009-07-28 17:16 | 文学